2007年5月8日火曜日

新フランス大統領決定ーーサルコジでした。

フランスの大統領が決った。サルコジさんでした。やっぱり、予想通りという感じ。女性候補のロワイヤルという人は、けっきょくダメでした。残念です。ロワイヤルという人は美人だったし、雰囲気もフランスっぽくてアメリカのヒラリー・クリントンよりも個人的は好きだった。

「仏大統領に右派サルコジ氏(52) 得票53.06%」(asahi.comより)
2007年05月07日11時55分

 フランス大統領選は6日決選投票があり、即日開票の結果、民衆運動連合(UMP=右派)のニコラ・サルコジ前内相(52)が、初の女性大統領を目指した社会党のセゴレーヌ・ロワイヤル元環境相(53)を破って初当選を果たした。両候補とも、2期12年務めたシラク大統領(74)の時代からの脱却を前面に打ち出したが、決断力、実行力を強く印象づけたサルコジ氏に、仏国民は「変化」への期待を託した。

 仏内務省の最終集計によると、サルコジ氏は53.06%を獲得、46.94%のロワイヤル氏を大きく上回った。任期は5年。いずれも戦後生まれの新顔で、左右の一騎打ちに関心が高まり、投票率は前回02年の81%を上回る83.97%だった。

 当選を受けて、サルコジ氏はパリ市内で演説。「私たちにすべてのものを授けてくれた国家フランスに、今度は私が恩返しをする番だ」と決意表明。「国家のアイデンティティーを取り戻したい。フランス人であることを誇れるようにしたい」と述べた。

 一方で、自分を支持しなかった有権者には「私はすべてのフランス人の大統領になることを理解してほしい」と訴えた。

 サルコジ氏は、シラク大統領の下でこの5年間、内相や財務相など重要閣僚を歴任し、実績を重ねた。右派を結集した厚い組織力も背景に、今年1月以降、ほぼ一貫して支持率トップを維持。4月22日の第1回投票では31.18%を獲得し、ロワイヤル氏の25.87%に差をつけていた。

 経済政策では「もっと働き、もっと稼ごう」をスローガンに、「週35時間労働」の見直しや解雇条件の緩和など、雇用の流動化や企業の裁量を拡大する方針を表明。硬直した社会保障制度の改革も訴え、財界の支援を取り付けた。

 一方でサルコジ氏は移民への規制強化を繰り返し表明。内相として不法入国や犯罪に対する強硬姿勢を鮮明にし、移民排斥を掲げる右翼の支持層を取り込んだ。強圧的とも受け取れる態度に左派や人権団体は反発を強めたが、綿密なメディア戦略も展開、同氏の経験と手腕に対する期待は、懸念を上回った。

 敗北を認めたロワイヤル氏はサルコジ氏を祝福。一方で「次に勝利を収めるために結束しよう」と語り、6月の総選挙に向けて、引き続きイニシアチブを握る決意を示した。

 ロワイヤル氏は選挙戦で、人権と平等を重視する政策を主張。最低賃金の引き上げや、財政支援による50万人の若者の雇用創出、保守政権時代に削減された教員数の回復などを公約として掲げた。しかし従来の左派の枠を超えた政策を訴えるロワイヤル氏に、社会党幹部から異論が出るなど、党内の路線対立が最後までくすぶった。主要政策でもぶれが目立ち、サルコジ氏の手法に不安を抱く中道層を取り込めなかった。


まあ、この記事を読めば、圧倒的にサルコジが勝ったことがわかる。でも一方でこんな記事もある。移民排斥などのせいでしょうか。


「サルコジ氏当選に反発 若者ら各地で投石や放火」(asahi.comより)
2007年05月07日10時58分

 仏大統領選でのサルコジ氏当選を受け、6日夜(日本時間7日未明)、反発する若者らがパリや同国第2の都市リヨンなどで投石や自動車への放火をし、警察の治安部隊と衝突、ロイター通信によると、5人がけがをした。

 敗北したロワイヤル候補の支持者らがパリ中心部のバスチーユ広場に移動し、投石などを始めた。AFP通信によると約5000人が集まり、催涙ガス弾や放水車で鎮圧しようとする治安部隊と衝突。パリ郊外では自動車など100台以上が放火されたとの情報がある。

 リヨンでは約500人が抗議デモを行い、治安部隊が催涙ガス弾を発射、ボルドーやマルセイユでも衝突が起きた。


若者からすると、サルコジはイヤみたいだ。読売の社説にもこのことが少し書いてあった。


5月8日付 よみうり寸評(Yomiuri Onlineより)

 〈コンコルド広場とバスチーユ広場〉——サルコジ氏が大統領当選を決めた6日の夜、パリの二つの広場の対照的な映像を見た◆コンコルド広場は「ニコラ、ニコラ、ニコラ」とサルコジ氏の名を連呼する支持者で埋まった。バスチーユ広場はデモ隊が投石し、警官隊が催涙ガスを発射して応戦した◆二つの広場がフランスの今を表現しているような光景だった。コンコルドではサルコジ氏が「フランスの勝利。私がフランスに恩返しする時が来た」と満面に笑みを浮かべた。氏はパリの生まれだが、ハンガリー移民の2世◆一方、バスチーユで荒れたデモ隊にはパリ郊外に住む移民の若者たちが参加していたのは間違いない。初の女性大統領を目指したロワイヤル候補が勝てば、ここで集会を開いたはずともいう◆2005年の移民暴動の際、内相だったサルコジ氏は「社会のクズは放水で排除する」と言った。氏は強烈な個性と指導力で頂点に立ったが、今後は融和が必要になる◆今回の勝利宣言では「すべてのフランス国民の大統領になる」と述べて融和を訴えた。

(2007年5月8日14時8分 読売新聞)


これらの文章では、ロワイヤル候補の支持者=反サルコジという感じで、バスチーユ広場に移動し、投石などを始めたということだし、またそこには移民の若者が多く含まれているに違いないということで、サルコジの「クズ」発言に反感を抱いているのではないか、ということだが、それにしては、いささか極端な行動だし、ヒステリックですらあると思う。

特にアサヒの記事に載っている写真を見ると、フランスの大統領選挙の結果起きたものだと思えない程だ。これが仮に国民戦線のル・ペンが大統領の当選していたのなら、こうした行動が起こっても、たいして不思議には思えないが、そんなにサルコジでイヤなのかいな?というのが正直な感想。

で、サルコジとはどんな奴なのか。


「野心と能力、サルコジ氏、劣等感ばねに頂点へ」(asahi.comより)
2007年05月07日13時11分

 ニコラ・サルコジ氏(52)には、ぎらぎらとした野心のイメージがつきまとってきた。一方で、それを実現させる意志と能力も備え、人気が高いのもその力強さあってこそ。その源は少年時代の生い立ちにある。

 サルコジ氏の父は元ハンガリー貴族の家系の出身。母国の共産化とともに亡命した。サルコジ氏はパリで生まれたが、5歳の時に両親が離婚し、母の実家で育てられた。

 中学高校の成績は思わしくなく、エリートコースを断念。フィガロ紙によると、ジュペ元首相らエリート校出身者の保守政治家に、長年劣等感を抱いてきたという。

 ただ、パリ西郊の高級住宅地のヌイイで83年、28歳で市長に当選し、道が開ける。93年、市内の幼稚園に爆発物を持った男が園児ら21人を人質に立てこもった事件で、一躍名を挙げた。

 市長として現場に駆けつけ、現金1億フラン(約21億円)を要求する容疑者と直接交渉。心理学者の助言を元に、容疑者を時におだて、時に強く出る巧みな弁舌で、次々と園児らを解放させた。「大爆発の危険もある部屋に命がけで入る勇気を彼以外の政治家が持ち得ただろうか」と現場にいたテレビ局記者は振り返る。

 46時間後に特殊部隊が容疑者を射殺して事件は解決。交渉の過程で解放した園児を1人ずつ腕に抱えて出てくるサルコジ氏の姿は国民を感動させた。だが、この記者は言う。「彼は、現場を記録する救急隊の撮影班のカメラを常に意識していた。何事でも自分が中心でないと気が済まない」

 大胆さとともに、意外な繊細さも。「コーヒーがぬるい」「いすの列が曲がっている」など、部下に対して神経質な指示も多いという。この細かさで政界随一の人脈を築き、成功の足がかりにしたといわれる。

 自らがサクセスストーリーの主人公だけに、失敗したと映る者への目は厳しい。05年秋に暴動を起こした若者を「クズ」と呼んだのもそのような意識の表れだ。

 当選を決めたこの日、演説で同氏は「取り残されたと感じる人がいない改革を進めたい」と、いつになく謙虚に語った。大統領の地位を手に入れた今、これまでの攻撃的なスタイルを変えられるかどうか。

 離婚を経験し、先妻との間に2男、セシリア夫人との間に1男がいる。


これを読むと凄いなあと率直に思う。で、同時になんかクセの強い奴だなあ、という印象を受ける。苦労人のイメージもある。「コーヒーがぬるい」「いすの列が曲がっている」など、部下に対して神経質な指示をする、というのを聞くと、ちょっと神経症ぎみかな?という印象もあり。

学生時代の成績の悪さは、それほど問題でもないだろうな。エリートコースに乗れなかったのは、これは劣等感に繋がるだろう。特にフランスは学歴社会でもあるようだし(グランゼコールという凄いエリート・コースがフランスにはある)、むしろ自意識過剰という雰囲気もする。

もっとも幼稚園に立て篭って爆発物を持った男の事件では、かなりの活躍をしたようだから、これだけでも凄い奴っぽい。きっと能力はかなりある人物なのだろう。ただ、こうした事件での活躍は強弁な印象も受けるので、これに続けて「クズ発言」が出てくると、否定的な引用を強くする可能性もあると思う。

サルコジ大統領の誕生で、フランスがどうなって行くのか、今後よく見ておくことにしよう。日本ではフランスのニュースが入りにくいので、そこが難点だが。