2007年6月30日土曜日

中国、終身雇用へ

中国の雇用問題に関するニュースとメモ。


「中国、「終身雇用」へ新法成立・労働者保護に力点」(Nikkei Netより記事を引用)

 【北京=尾崎実】中国の全国人民代表大会(全人代=国会に相当)常務委員会で29日、労働者の解雇を制限する「労働契約法」が可決、成立した。2008年1月から施行する。事実上、労使間で「終身雇用」契約を結ぶよう求め、違反した雇用者の賠償金支払いを義務付けた。中国が労働者保護に力点を置く姿勢を鮮明にした形だ。

 雇用契約の長期化は「給与水準の上昇→労働コストの拡大」の流れを生みかねない。中国展開する外資系企業は今後、コスト削減策を迫られる可能性がある。中国企業も農村部からの出稼ぎ労働者らを明確な雇用契約に基づかずに低賃金で採用していた例が少なくないとみられており、新たな労働法制への対応を迫られそうだ。

 同法は企業が勤続10年以上を数えるか、期限つき雇用契約を連続して2回結ぶかした労働者との契約を更新する際、終身雇用に切り替えなければならないと明記。違反した場合は、2倍の月給支払いを義務づけた。労働条件を変更する際には労働組合などとの協議が必要であるとも定め、労組の権限も強化した。


終身雇用制が給与水準の上昇を招き、労働コストがかかるということだが、労働コストが増加すれば、中国製の安い商品は作れなくなる。

今のところ中国はまだ、安い商品を世界に供給することで、利益を上げている。また外資が中国で工場生産をすることで、安い労働力を使い、コストを削減してきた。

中国では徐々に労働者の賃金が上昇していると聞くが、まだ相対的には安いだろう。これが今後さらに上昇していけば、中国経済のあり方も、何だかの形で変ってくることになる。

今回の労働契約法という法律で、その契機になるかどうか。

中国は今だに人権が認められていない。思想・良心の自由など今だに認められてないわけだ。中国はまだ政治的には共産党の一党独裁のままだ。

それなのに、最近の中国は、新たに物権に関する法律を作ろうとして、所有権の保護を打ち出そうとしたり、また今回のように労働者を保護する法律の制定をするなどしている。

精神的自由権はまだ認めなくとも、経済的自由権に関するものは認めていこうという印象を受けた。

今後こうした傾向が強まる中で、どのような国家へと中国が変貌するのか興味のあるところだ。経済的自由権の獲得から精神的自由権へ、という流れがはたして作られるか否か、興味あるところだ。中国も国際社会の中にあって、いつまでも人権を無視した国家であり続けることもできないだろうから。

2007年6月29日金曜日

小学生の抑うつ

小学生に抑うつの症状を示す者がいるという記事を読んだ。個人的には意外な事実だったが、現在の学校崩壊、学級崩壊の現場に身を置く子供にとってみれば、意外でも何でもない、ということになりそうだ。

印象に残った記事なので引用と若干のメモ。


「抑うつ状態の小学生、自殺考える傾向4倍 学会で発表へ」(asahi.comより記事を引用)
2007年06月27日17時34分

 小学4〜6年生の1割以上が抑うつ傾向にあり、自殺を考えるリスクは抑うつのない子に比べて4倍高い——。そんな調査結果を宮崎大教育文化学部の臨床心理士・佐藤寛さん(発達臨床心理学)らがまとめた。「子どものうつを軽く見ず、早い段階で周囲が手をさしのべる必要がある」と佐藤さんは話している。29日から札幌市で開かれる日本うつ病学会総会で発表する。

 佐藤さんらは05年7月、茨城県内の小学4〜6年生669人を対象にアンケートを実施。「泣きたい気がする」「生きていてもしかたがないと思う」など18項目について聞き、抑うつ度や自殺を考える傾向を分析した。3カ月後と6カ月後にも同じ調査をした。

 その結果、抑うつ傾向のある児童はいずれの調査でも15%前後おり、3回とも抑うつを示した子も5%いた。自殺を考える傾向も児童の15〜20%にみられ、3回ともみられた子は2%だった。

 1回目の調査で抑うつ傾向があった児童はなかった児童と比べて、3カ月後に再び抑うつを示すリスクが5.6倍、6カ月後は6.1倍高かった。また、自殺を考える傾向は3カ月後が4.3倍、6カ月後は3.8倍高かった。

 1回目で自殺を考える傾向のあった子が3カ月後に同じ傾向を示すリスクは5.5倍、6カ月後は4.1倍だった。

 抑うつの原因は、友人関係のストレスの度合いが最も大きかった。ただ、自殺を考える傾向には友人、教師との関係、学業などが複合的に影響していると分析された。

 警察庁によると、06年の小中高生、大学生らの自殺者数は統計をとり始めた78年以降最多の886人だった。また、子どものうつは見過ごされがちなうえ、一部の抗うつ剤は自殺のおそれが高まるとして18歳未満の服用が禁じられており、治療の難しさが指摘されている。

 佐藤さんは「親や教師が子どものうつ状態に気づくことが重要。抑うつの引き金は過去3カ月以内の出来事が関係しているとの結果も出ており、まずはその解決を図ることも効果がある」と指摘している。



自分の世代で、小学生の頃にうつ病や、それに類する症状を持った者がいたかどうかを考えると、少なくとも自分の周囲にはいなかったのではないかと思う。

もっともこの記事では、詳しく書いていないため、「うつ」という言葉使いが、どういった性質のものなのか、いささか不明瞭だ。

例えば記事では、小学生にアンケートを実施した結果、うつ的な傾向があることが分かった、という雰囲気で、決して病院に相談に来た小学生ではないようだ。病院できちんと診察しなければ、本当に抑うつなのかよく分からないはず。しかし、この記事ではこの点が曖昧だ。

「死にたい」だの「泣きたい気がする」だの「生きていてもしかたがないと思う」だのという台詞なら、人間、誰でも一度くらいなら口にする。だが、この言葉を口にしたからといって、直ちに抑うつ状態だとは限らないだろう。ましてやすぐに自殺に結びつくものではないだろう。

専門家による調査であれば、もっと正確な調査や言葉の定義をするはずだが、どうもこの調査にはそれを感じない。そう感じないのは自分だけだろうか?

調査項目が18項目しかないとあるし、その内容が「泣きたい気がする」「生きていてもしかたがないと思う」など、わりと一般的でよくある内容のものであるから、どうも個人的には、この調査、あまり有効性を感じなかった。

それに一人、一人に直接面談でもして、相手の情報を状態を見ているわけでもないし。

もっとも、実際の調査用紙を見たり、アンケート結果の分析内容を見ないと何とも言えないが、やや不正確で、曖昧な内容である気がしてならない。

また、やや気になったのは、記事にある「1回目で自殺を考える傾向のあった子が3カ月後に同じ傾向を示すリスクは5.5倍、6カ月後は4.1倍だった」というところだ。

この文言からすると、アンケートといっても、匿名のものではなく、前回のアンケートと次回のアンケートとで、同一人物か否かが判断できるようにしている、ということになる。

これは少々気になるところである。だいたい、こうした人の人格や高度にプライバシーが要求されるはずの内容が、個人を特定できる、というのは問題ではないか。

本人の同意があれば良いとも言えるが、何も分からない小学生に同意など求めても意味はない。父兄の同意でも求めたのだろうか?

抑うつを判断するのにも、あまり正確な調査という気もしないし、かなり突っ込んだ質問をするアンケートだったとすれば、プライバシーの問題も気になる。こうした点で、どうも何か引っかかるところのあるニュースだった。

2007年6月28日木曜日

決算「公告」の日経掲載

以下の記事を読むまでは、企業が決算などの公告を発表する先を、いちいち定款に記載していたのを知らなかった。


「東電と三菱商事 決算「公告」の日経掲載やめる」(asahi.comより記事を引用)
2007年06月26日19時24分

 東京電力と三菱商事は26日の株主総会で、決算など企業情報の「公告」を日本経済新聞へ掲載することをやめる定款変更を決議した。日経新聞社では昨年、公告情報を悪用したとして元社員が証券取引法違反(インサイダー取引)容疑で逮捕された。東電、三菱商事とも「事件との関連性はない」としているが、再発を嫌う企業側による「公告の日経離れ」が進む可能性もある。

 東京電力は従来、東京都内で発行する日経新聞に公告を掲載していたが、定款変更で電子公告に切り替えた。電子公告を導入済みの三菱商事は、事故などで電子公告できない場合の掲載先を「官報または日経新聞」と定めていたが、官報に一本化した。

 日経は企業の公告掲載をほぼ独占。逮捕された元社員は、掲載される前の公告内容を見て株式分割する会社の株を買い占め、値上がり後に売却する手法で多額の利益を得ていたとされる。



東電と三菱商事という2つの会社が公告掲載に、日経を利用するのを止めた、という、ただそれだけの内容の記事だ。

決算のなどの公告を発表するのに、自社のサイトを使うなど色々な方法があると思うから、わざわざ定款で利用するところまで決っているとは思わなかった。

考えてみれば、企業の発する公告は、投資家には重要だから、定款で決めていること自体は不思議でもなんでもない。公告を出すのに、その時期とか、回数とか、その程度の決めごとしか定款に書いてないと思っていたから、今回の記事を読んで少々意外だったに過ぎない。

しかしこの記事、同じ新聞社のことが問題になっていたから、この記事を書いたのか?

日経が企業の公告を実質的に、ほぼ独占しているという現状は、変えても差し支えないものだ。

でも投資家からすれば、企業の公告が日経の寡占状態であることは便利である。自分の知りたい公告を見たい時に日経さえ見ればよいので、どこに書いてあるのか探したり迷ったりすることもなく、無駄な時間を使わなくて済む。

しかしある企業の寡占状態というのは、やはり不健康な側面が出てくるものなのか。企業でありながら実質的に競争がない、というのも何だか奇妙な印象も受ける。

電通みたいに、広告の分野で寡占的な状態とよく似ているように思うが、電通の場合はあまり不祥事が出てこない。個人的な印象としては電通と日経はどこか似ているような気もしている。それはある一定の分野で寡占的な存在だからだろうか。

2007年6月27日水曜日

やはり参院選の争点は年金問題か

参院選を目の前にして、支持率の低下している安倍内閣が、選挙への政策を発表した。それに関連するいくつかの記事の引用と、メモ。


「「与党重点政策」を発表 憲法は後退、年金前面に」(asahi.comより記事を引用)
2007年06月26日20時18分

 自民、公明両党は26日、参院選の共通公約となる「与党重点政策」を発表した。安倍首相が強く訴える憲法改正は、考え方に隔たりがある公明党と妥協した結果、項目には入ったものの具体性は欠く内容に。一方で「年金制度の信頼回復」を冒頭に掲げるなど、生活者重視の姿勢がにじみ出ている。また、最終調整で「農林水産業の振興」が加わった。

 自民党の中川昭一政調会長「『議論を主導し、3年後に憲法改正案をまとめる』としたい」

 公明党の斉藤鉄夫政調会長「自公でひとつの改正案をまとめる、と誤解される。これでは飲めない」

 22日、国会内の自民党政調会長室で2人はひざ詰めで文言をすりあわせた。共通公約をつくるにあたって最後まで折り合いがつかなかったのが「憲法」だ。

 中川氏は年金記録問題で受け身の戦いを強いられる中、何とか「安倍色」を打ち出そうと、憲法改正の盛り込みをはかった。しかし、斉藤氏は「改憲に性急に突き進むと思われるわけにはいかない」として「『国民的な議論を深めていく』という表現にとどめるべきだ」と主張。結局、自民党の公約にある「憲法改正」、公明党公約の「加憲」との言葉は、ともに与党公約には盛り込まれなかった。

 公明党幹部は「首相の顔を立てつつ、これが公約と言えるのかと疑問に思うほど骨を抜いた」と語る。

 ただ、首相は24日のNHK番組で「3年後に改正をめざしていくことを国民に宣言していく必要がある。それが政権として正直な姿勢だ」と語るなど、あくまで3年後に改憲の発議をめざす考えを強調している。

 一方で、公務員制度改革を「戦後レジームからの脱却」と位置づけ、「再チャレンジ支援総合プラン」の推進をうたうなど、安倍政権のキーワードもちりばめられた。首相が熱心に取り組んできた拉致問題は、自民党公約の書きぶりがほぼそのまま踏襲された。

 また、最終原案には「農業」の記述がなかったが、自民党内から「入れるべきだ」との声が上がった。参院選の勝敗を握るのは農村部が多い1人区でもあり、「地域活性化」の項目に「農林水産業を振興し、豊かな自然にあふれる美しい郷土をつくる」との一文が盛り込まれた。


この記事では、安倍内閣の「看板」の一つである、憲法改正の問題は後退し、年金問題を冒頭に掲げ、生活者重視の姿勢を出しているという。

ただでさえ、財政赤字の処理や少子高齢化など問題があるのに、安倍内閣は大臣の自殺からアメリカでの従軍慰安婦問題など、難問だらけになってしまった。この内閣は本当に大変な仕事をしなければならなくなった。

その中で年金問題をやはり全面に押し出す必要があるようだ。安倍内閣としても国民の老後がどうなるのか分からない不安な状態では、支持率は集められないと思うのは無理もない。かなり強い態度に出て来ている。


「年金記録漏れでの賞与一部返納、官房副長官3氏も」(Yomiuri Onlineより記事を引用)

 下村博文、鈴木政二、的場順三の3官房副長官は26日、年金記録漏れ問題の責任を取り、6月の賞与(ボーナス、期末・勤勉手当)の一部を返納する意向を固めた。


 返納額は検討中だが、衆院議員の下村氏と参院議員の鈴木氏は、安倍首相らと同様に、公職選挙法で返納を禁じられている議員歳費分を除いた特別職分を全額返納する方向だ。一部は行政改革の一環としてすでに自主返納が決まっているため、追加返納分は下村氏が約35万円、小泉内閣から副長官を務めている鈴木氏は約54万円になる見込み。国会議員ではない的場氏は、下村氏と同額を返納する意向だ。

(2007年6月26日20時41分 読売新聞)


まず最初に政治家が賞与の返還一部返納することで、国民にアピールするようだ。これは一部よりも全額の方がより国民にアピールすると思うが、さすがにそれはできないというところか。


「社保庁職員、賞与返納しなければ…再雇用拒否も 官房長官示唆」(Sankei Webより記事を引用)

 塩崎恭久官房長官は26日午後の記者会見で、年金記録漏れ問題の責任を取るため、政府が社会保険庁全職員に夏季賞与の一部を自主返納するよう求めたことに関連、仮に返納に応じない場合は、同庁を廃止・解体して平成22年に発足させる方針の「日本年金機構」への再雇用を拒否することもあり得るとの考えを示唆した。

(2007/06/26 18:15)



さすがに政治家のみならず、行政側にもきちんと責任を取る姿勢を示すことをした。これも政治家同様に全額の返還ではなく、賞与の一部返納を催促する態度に出た。

国民の側からすれば、社会保険庁の職員の賞与なら全額返還して欲しいものだ。今回の社会保険庁職員のずさんな事務処理のおかげで、取り返しのつかない損害を国民の受けたことになる。

それに比較すれば、賞与の一部返納などたいしたことではない。むしろ足りない年金の足しにするために、社会保険庁の職員の給与から、数年に渡って少しづつ返納して国民に返して欲しいものだ。

給与がけずられると生活に困るが、賞与ならまだ自主的に返納してもらわないと、国民は納得できない。

もっとも社会保険庁の職員が、ボーナス一括払いで何かを買っているとか、マイホームのローンがある場合はしんどいが、その程度は何とかやり繰りして、凌いで欲しいと思う。

それにしても、「日本年金機構への再雇用を拒否することもあり得る」というのは、かなり脅しに近いものだ。そこまで強引にでも職員に責任を取らせようとしている。官僚にもちゃんと責任を取らせようとする、その態度は充分に評価できる。

だが、一方でこのくらいしないと、選挙で国民にアピールするのは難しいというところだろう。


「ボーナス返納 「積極的に応じるべきだ」と社保庁労組」(asahi.comより記事を引用)
2007年06月26日19時56分

 年金記録問題を受けて社会保険庁の村瀬清司長官が全職員に6月賞与の自主返納を求めている問題で、同庁の職員でつくる「全国社会保険職員労働組合」(約1万1000人、旧自治労国費評議会)は26日、「様々な事情により自主返納に応じることができない職員に一切の不利益を及ぼすことがないことを前提に、社保庁職員として重く受け止め、積極的に応じるべきだと考える」とのコメントを発表した。


さすがに社会保険庁の組合でも、賞与の一部返納に対して賛成する態度を示した。なかなか潔い態度だと思う。それだけ国民の怒りが社会保険庁にも伝わってくるのだろう。自主返納できない職員も当然いるだろうが、なんとか努力して返納して欲しいものだ。

そもそもずさんな仕事をする職員に賞与まで与える余裕は、すでに赤字まみれの日本政府にはないはずだ。返納した分は足りない年金の足しにでもして欲しいものだ。



「社保庁の賞与一部返納、全厚生職員労組は「踏み絵」と批判」(Yomiuri Online より記事を引用)

社会保険庁の労働組合で共産党の影響力が強い「全厚生職員労働組合」(組合員数約2200人)は26日、政府が同庁の全職員の賞与一部返納を求めたことについて、「社保庁解体後の新組織採用の『踏み絵』にされ、返納が強制されかねない」と批判する談話を発表した。


 「国会審議では、『改革に後ろ向きな職員は新組織に採用しない』との考え方が繰り返し示され、分限解雇も視野に検討が行われている。また、賞与の返納で責任の所在があいまいになりかねない」などとしている。

(2007年6月27日13時11分 読売新聞)


やはり社会保険庁の労働組合としては、但し書きを付けている。しかし、もう返納を避けることはできないだろう。組合側もどこか歯切れが悪い。

それに責任の所在が曖昧になる、という批判は、どこかおかしい。責任が曖昧になるのがイヤなら、自分たちで、きちんと責任の所在を示すのが筋である。その肝心の責任の所在を明確に示せないのであるから、この但し書きが問題外だ。

もちろん、単なる賞与の返納で、責任の所在が曖昧になるのはよくないことだ。それは別に追求すればよい。だがこれは時間のかかる問題だから、責任を明確にするまで紆余曲折あるかも知れない。

国民が年金問題を監視していれば、責任の所在が曖昧になることはないだろう。ただし国民が強い関心なり批判意識を持ち続けていなければ、責任は最終的に曖昧にされる恐れはあるだろう。


なお、社会保険庁の問題について、以下の記事が興味深いものだった。


「社保庁改革阻む100の裏協定「どうにもならなかった」」(asahi.com より記事を引用)
2007年06月27日09時59分

 「組合にも責任があるが、要求を受け入れた管理者側にも問題がある」。社保庁の最高顧問だった「さわやか福祉財団」理事長で弁護士の堀田力氏(73)は、かつての経験を振り返りながら、ずさんな年金記録問題についてそう感じたという。

 年金保険料の不適切な支出、個人情報の無断閲覧。様々な問題が噴出していた社保庁を立て直すために呼ばれた堀田氏の目に、職場は無気力で怠惰な雰囲気に満ちているように映った。

 「労組との裏協定があって、どうにもならなかった」。04年9月に最高顧問となって間もなく、数人の長官経験者からこう耳打ちされた。

 組合と社保庁との覚書や確認事項による「裏協定」は100を超えていた。「窓口でのパソコン作業では、キーボードを45分操作したら15分休憩」「キーボードへのタッチは1日当たり平均5000以内」といった数々。一部の文書は「国費評からの要求の実現に向け、誠意をもって対処する」で締められていた。

 「こんな協定を求める方も問題だが、歴代長官らにも、何も手を打ってこなかった不作為の連帯責任がある」と堀田氏は指摘する。やる気のある職員が実力を出せるよう、まず裏協定の破棄作業が進められ、05年1月に完了した。

 組織改革の方向が見えてきた06年春、年金の納付率を上げるために数字を改ざんしていた問題が相次いで発覚。これまでの改革案は白紙になり、与党からは「組織を民間にしろ」の大号令が上がった。「助言はかき消され、政治家も聞く耳を持たない状態となってしまった」

 堀田氏は今年1月、最高顧問を退任。そこに、ずさんな年金記録問題が持ち上がった。「情けないし、本当にがっかり」と肩を落とす。


この記事を読むと、社会保険庁がかなり腐っているという印象を受ける。「職場は無気力で怠惰な雰囲気」というから、これは役所についてわまる問題点だ。とにかく職場に来ていれば給料がもらえ、生活ができる。そこにはなんの努力も必要ではなく、単に与えられた仕事を機械的にこなしていくだけ、という風景が浮かぶ。

ここで言われている100に及ぶ「裏協定」の内容は、じつにひどいものだ。「窓口でのパソコン作業では、キーボードを45分操作したら15分休憩」などというのなら、なぜ、今回のように入力ミスが生じて年金の支払い履歴が分からなくなる、という問題が生じるのか。

ここは実に不思議である。ここまで微々歳々に渡って「取り決め」をしておいて、それで今回のような、ずさんな事務処理が行われてきたのか、その点もきちんと説明して欲しいものだ。明らかに主張と現実とが露骨に矛盾している。

それにしても、なぜ、こんな変な協定が今まで通ってきたのか。これも不思議である。この、おかしな協定を通すために、裏で何か取引であったのだろうか。ここは社会保険庁の闇の部分に当るかも知れない。ここはジャーナリズムがこれからしっかりと突いて欲しいところだ。


2007年6月25日月曜日

ジャスダックの外国人の保有比率

2、3日前のニュースで、ジャスダックの外国人の株式保有比率が過去最高になったという記事を読んだ。


「ジャスダック、外国人の保有比率が最高の23.5%に」(Nikkei Netより記事を引用)

 ジャスダック証券取引所が22日発表した2006年度の株主分布状況によると外国人の保有比率が23.5%と1994年度の調査開始以来の最高となった。個人株主数は342万3000人で12年連続で増加したが、一部銘柄の株式併合などの影響で保有比率は低下した。新興株相場の下げが続き割安感が出た銘柄を中心に外国人の買いが進み、投資単位の引き下げで個人の投資も広がった。

 06年4月から3月に決算期末を迎えた上場企業964社の株主を単元数ベース(単元株を採用しない企業は1株ベース)で調査した。個人の持ち株比率は39%だった。一時はジャスダック全体の単元数の約7割を占めた宝飾品販売のシーマが株式併合した特殊要因で個人の比率が前の年度に比べ26ポイント下がり、外国人の比率は17.9ポイント上昇した。



ジャスダック指数は下がり続けていた。最近は少し持ち直してきているが、まだ本格的な上昇に転じているとは言い難い。

「もう新興市場の相場は終った」と言われることもあるが、そんな中で外国人はしっかりと新興市場の株を買っていたことになる。

どんな会社の株を買っているのかまで、この記事には書いていないが、きっと、新興の中でも優良な企業や成長性のある銘柄に投資しているのだろう。

もっとも新興市場の株を買うのはいささかリスクがある。東証1部に上場している一流企業と比較すると、企業の内容も分かりづらいところもあるし、決算の内容もどこか不安がある。

企業の出すIRなどは宣伝の一つだから、何割か引いて見ておく必要もある。

そんな中で外国人投資家は、よく日本の新興市場の株を研究しているものだと感心する。単なる相場感だけで新興の株を買っているとは思えないので、よくよく調べたあとで投資をしているのだろう。

そうゆう情報収集や情報分析にかけては、外国人の方が上手という気もするが、いろいろ日本での情報を外国人に提供する日本人もいるのだろう。そうゆう日本人がいなければ外国人が新興の株などに手が出せるとは思えない。

外国人が日本の新興市場に投資する際に、どういった分野や銘柄を選択しているのか、知りたいものだ。これは株価が上がるか否か、という問題に興味があるというよりも、外人の投資先を知ることで、実は日本のこれからの産業の発展も同時に分かるような気がするからだ。

新興市場という新しいビジネスを展開する企業に投資するわけだから、その新しいビジネスが伸びると判断することもできるだろう。

その意味で、個人的に外国人の投資先に興味がある。そのうちしばらく経てば、個別的には何だかの形で分かるようになるだろう。「外国人株主の保有率の高い会社」という形で、何だかのメディアに載るような気がする。

2007年6月24日日曜日

無印良品の衣料品

最近の無印良品の衣類は、ずいぶんデザインが良くなったと思う。先日、夏物のTシャツでも買おうと思い、店に行ってみたが、値段の安さは相変わらずで、デザインの質は上がっていた。

もっとも、衣料品の部門は、デザイナーの山本耀司が監修だかアドバイスだかをしているようだ。これは以前、投資する会社を探している時に、「週刊東洋経済」の記事で読んだことがある。

ヨージが良品計画に関わっているのなら、衣料品がもっと売れるのはではないかと思い、投資先(つまり株を買うこと)として、良品計画を考えてもよいだろうと思っていた。

それにちょうど今は良品計画の株価が下がってきている時期でもあり、株を買うなら安くなって買いやすいということもある。

それで、良品計画の株を買うなら、店の内容をよく見ておく必要があるだろうと思い、最近になって、4店ほど、無印良品の店舗を覗いた。

確かに、衣料品は良くなっている。雑貨も気の利いたものが多い。食料品の類いも面白いものが売っているし、家具もそこそこ丈夫にできているみたいだ。

食料品はドーナッツやパスタなどを買ってみたが、意外に美味しいと思う。

昨日も無印良品の店を見て回ったが、10%オフのキャンペーン中であったようだ。そのためか、女性客が多く、衣料品売り場に特に女性客の姿が多かった。

男物衣料については、ヨージがデザインを見ているというが、昔のコム・デ・ギャルソン・オムに似ているような気がする。しわ加工したシャツなどが売っていたし、襟の切替しのデザインや、ボタンホールにステッチが入ったシャツなど、もろに昔のギャルソン風の感じだ(現在のギャルソンやヨージの服はまったく見ていないの、今はどんなデザインなのかは知らない)。

有楽町店には、「MUJI LABO」というラインも売っていた。これは値段が高めでデザインに凝っているライン。LABOはギャルソンよりもヨージに似た服があった。特にシャツがそんな感じだった。個人的にはかなり気に入った。

10年以上前ならば、こうした現在無印に売っているようなデザインの服はブランド品くらいしかなかった。それが今では、安い値段でこうしたデザインの服が買えるようになった。こうした安くてデザインのよい衣料品が出てくると、もうブランド物など買う気になれなくなる。

すでに自分はブランド物の服など買わなくなっているが、これから増々買わなくなりそうだ。安くてシンプルで雰囲気の良い服。今回はわりと感心して帰ってきた。ついでにシャツなどを少し買った。

もっとも、このデザインで、どれだけ収益が上がったのか、まだよく分からない。今も期間限定で、10%の安売りをしているし、もしかすると、思ったほど売れていないのかも知れない、と思うところもある。

かなり売れていれば、期間限定で安売りをする必要はないわけだし、以前にも同じような期間限定の安売りをしていた記憶もあるので、やや気になるところである。

こうした生活品を売っている店を経営する会社に投資するには、消費者としてマメに店を観察して、どのくらい売れていのか、どういった物を出しているか、自分なら買うか買わないか、などを見ておいた方がいいだろうと思う。

また、一般の個人投資家でも、実際に店に足を運んで、様子を見ることができるので、売れるか売れないかを自分の目で判断することも可能だ。実際に売れてるのを確認したり、これは売れそうだと判断できれば、それだけ収益が上がることも予想でき、投資するには良いだろうと考えることができる。

ここが他の企業、例えば銀行、鉄鋼、運輸などの場合と違うところで、こうした業種の企業の場合は、どうしてもアナリストの分析に頼る必要があるが、こうした良品計画などの場合は、消費者の視点が生かせるはずなので、そこそこ投資はしやすいと思う。

あとは財務状態や株価水準、PERやPBRなどをチェックしおけば、投資で大きな失敗はないのではないか?

これからも無印良品の店舗をよく見ておこうと思っている。

2007年6月23日土曜日

岩波文庫版、モンテスキュー『法の精神』上、その2

『法の精神』を読んで、今までぼやけていたところが、少しはすっきりとした。

ところでこの『法の精神』には、なんと、日本のことについて書いた章がある。第1部の第13章「日本の法律の無力さ」というものだ(180頁)。

この章の他にも所々、日本について言及されている箇所がある。モンテスキューが日本を知るために使った本の一つである、『東インド会社関係旅行記集』という名前をネットで検索したら、島田孝右という人の『モンテスキュー著『法の精神』と日本』という論文がヒットした。

この論文でモンテスキューが『法の精神』の中で日本について論じている箇所とその詳しい注釈を読むことができる。

モンテスキューが日本を知るために参照している書物は、ケンペル(ケンプファー)の『日本誌』や『東インド会社関係旅行記集』という本らしい。

第13章の「日本の法律の無力さ」では、モンテスキュー自身の注釈では、もっぱら『東インド会社関係旅行記集』である。上記の島田という人の論文でもこの本の詳しい内容については紹介していないが、カロンという人物の『日本大王国志』などの記録が含まれているそうだ。

この東インド会社の出した旅行記がどういったものなのか、『法の精神』の翻訳の注にも詳しいことは書いていない。

『東インド会社関係旅行記集』における日本の記述は、そこそこ史料的価値もあるようだ。

しかしながら、日本についての記述はおかしいような気もする。奇妙な印象も受ける。この13章「日本の法律の無力さ」でモンテスキューが言っていることは、日本の刑罰が残虐で過酷だから、かえって執行がひかえられたり、人民が厳しい刑罰に慣れてしまって、本来の厳しい刑罰の持つ抑止力が無くなってしまうのではないか、という内容のことだ。その意味で日本の法律が無力なのだとしている。

例えばこんな感じだ。

「そこでは、ほとんどすべての罪は死をもって罰せられる。なぜなら、日本の皇帝ほど偉大な皇帝に服従しないことは、大変な罪であるから。」

「役職者の前でなされる虚偽の申立ては、死をもって罰せられる。これは自然的防御に反することである。 罪の外観をもたないようなことも、そこでは厳しく罰せられる。たとえば、遊戯に金を儲ける者は死をもって罰せられる。」

「生まれつき死を軽視し、ふとした気紛れからでも腹を切るような人々が、刑をたえず見せつけられることによって、矯正あるいは抑止されるものであろうか。むしろ、それに慣れてしまうのではなかろうか。」


こうしてモンテスキューの主張を見ると、どうも違和感を覚える。ちょっとしたことでも死をもって償うというような刑罰を江戸時代の日本はやっていたのだろうか?

西洋人はわからない武士のしきたりの中で、ちょっとのことで切腹するように見えたの知れない(例えば忠臣蔵での「殿中」とか)。

それに、上の引用にある「ふとした気紛れからでも腹を切る」などということが本当にあったのかね?これはかなり誇張があると思う。気紛れで切腹などしないと思うが。

また、たえず重い刑罰(死刑とかを)見せつけられている、という言い方も誇張があると思う。

このような内容を、かのモンテスキューが大真面目で書いているのも、なかなか面白いと思うが、単に面白いだけではなく、気になる記述も、個人的にはあった。

今まであまり聞いたことのない、昔の日本の社会のことについて、少しだが書いてあり、こうしたことは、ことによると、わりと正確な記述で、むしろ我々日本人の方が知らされていないのではないか、とふいに思ったりした。

モンテスキューが書いているのは、わりと治安の悪い日本社会の様子だ。治安は昔から日本は良かったという印象を自分は持っていたが、それとかなり違っている。

例えばこんな様子だ。

「メアコ(都)における皇帝とデイロ(内裏=天皇)との会見を読む必要がある。ならず者によって窒息させられたり、殺害されたりした者の数は信じられないほどであった。少女たちや少年たちがさらわれて、丸裸にされて、通ってきた場所がわからないように布袋の中に閉じ込められ、広場にさらされているのが毎日の時ならぬ時刻に見出された」

「人はなんでも欲しいものを盗んだ。馬に乗っている者を落とすために馬の腹を割いた。貴婦人たちを掠奪するために乗物をひっくり返した。オランダ人は桟敷の上で夜を過ごすと必ず暗殺されると聞かされて、そこからおりた、等々。」


このようなことは、はじめて聞いた。これを読むと、当時の日本はかなり治安が悪い印象を受ける。当時は本当にこんな感じだったのだろうか?

それにしても面白いのは、引用した文章に出てくる「皇帝」とか「デイロ」とかいうものだ。どうも「皇帝」というのは、徳川将軍のことであるらしい。デイロというのが天皇のようだ。都をメアコと書いてあるのも面白い。


モンテスキューの書いた日本についての話しはここまでにしておく。


まだ自分はモンテスキューの『法の精神』を全部読んでいない。これから丹念に読んでいく予定。

2007年6月22日金曜日

岩波文庫版、モンテスキュー『法の精神』上、その1

ブックオフに行ったら105円本コーナーでモンテスキューの『法の精神』を見つけたので買った。

前々からモンテスキューの『法の精神』は読んでみたいと思っていた。売っていたのは上巻だけなので、中、下巻は今回手に入れていない。

高校までの政治経済の教科書は勿論のこと、大学の教養課程(今は総合科目というのが一般のようだ)でも、国家の政治形態について、基本的な事をあまりきちんと教えてくれない。例えば「共和政」という言葉は、高校の政治経済の教科書で、あまり出てこなかった記憶がある。共和政という言葉が出てくるのは、もっぱら世界史だった。「共和政ローマ」という感じで世界史に出てくる。

共和政がいかなる政治(国家)形態で、他の形態と区別するための特徴とは何なのか、について自分は今まで誰からもきちんと教えてもらった覚えがない。

世界史の教科書に共和制という政治形態の説明(あるいは正確な定義)がないのは勿論のこと、世界史を教えている教師も、共和制という政治形態が何なのか、きちんと教えてくれないものだ。

世界史を担当する教師は残念ながら、政治学や法律学などをあまり勉強していないので、政治形態についての基本的な知識が欠けるのである。そんなものは高校はもとより、大学でも教えてもらっていないから、生徒に政治形態の基本をきちんと解説できないのだ。

大学で使われる憲法学の教科書でも、共和政その他の国家形態の基本的事項で詳しい説明はあまり書いていなかったと思う。

また共和政など政治体制(国家体制)に限らず、社会や経済の仕組みもあまり分かっていないところがある。「資本主義」(これは政治より経済の分野だが)とは何かを明確に説明できる者の少ないだろうし「近代」とは何かを明解に説明することができる者も少ないような気がする。

こうしたことは一例だが、我々は基本的に国家の枠組みや社会の成り立ち、経済の仕組みなど、基本的な構造や、その種類など、あまり知らないのが現状だと思う。それも大学を卒業した者、所謂一流大学を卒業した者でも、意外と明確に知らないのが本当のところだろう。個人的にはそう感じている。

実は自分自身も大凡の政治や法学の知識があると思っていたが、その一方で若干知識に不安もあり、ちゃんとした知識を頭に入れておきたいと前々から思っていた。それで岩波文庫のモンテスキューの『法の精神』の上巻を買った。


しかし、一方でこの岩波文庫の「法の精神」を読み進むうちに、いぶかしく思うところがあったのも事実である。それは翻訳がひどい、ということだ。日本語として不自然な文章が散見される。まともな文章になっていないところもあった。

このおかげで、ただでさえ抽象的な内容を扱っている『法の精神』が、余計読みずらくなっている。分かりづらいのは、モンテスキューの書いた内容による部分もあるだろうが、翻訳で読みずらさ、分かりにくさがあるのは確かだろう。

翻訳自体は1987年から88年のもので、比較的新しいものだ。しかし岩波としては、もう少し時間が経ってから、訳文の見直しをしてもらいたいと思う。

2007年6月21日木曜日

教育関連3法の成立

教育関連3法と呼ばれる法案が可決され成立した。この3つ法律は以下の内容。


「地方教育行政法改正案」(文部科学相に教育委員会への指示・是正要求権を付与)
「学校教育法改正案」(副校長や主幹教諭を新設)
「教員免許法改正案」(教員免許に更新制を導入)

これらの法案は、中央公聴会では反対の意見が多かった。


「教育3法案、中央公聴会で反対意見相次ぐ」(asahi.comより記事を引用)
2007年06月15日20時13分

 教育関連3法案を審議している参院文教科学委員会は15日、中央公聴会を開いた。5人の公述人のうち4人が法案に否定的な見解を示した。

 自民推薦の佐々木知子・帝京大教授は規範意識や国語力の低下を挙げ、3法案に賛成。一方、民主推薦の佐竹勝利・鳴門教育大教授は教員免許更新制について「10年に1度、30時間の講習の効果は疑問」、共産推薦の藤田昌士・元立教大教授は、学校教育法改正案に入った「我が国と郷土を愛する態度を養う」との表現に「国家は道徳の教師になりえない」と述べた。

 公明推薦の最首輝夫・前千葉県市川市教育長は教育委員会制度について「抜本的に変える必要がある。地方教育行政法を廃案とし、根本からやらねばならない」と改正案を疑問視した。

 公聴会後の理事懇談会で、与党側は19日に安倍首相が出席しての締めくくり総括質疑と法案採決を提案。野党側は一般質疑が必要だと主張し、合意に至らなかった。


この公聴会は一体、何だったのだろうか?開かれた日付だって、15日だ。教育関連3法案が可決されたのが20日だから、わずか5日前のことだ。こうした公聴会を参議院の委員会で開いたのに、それがまるで反映されていないかのようだ。

これが仮に文部科学省が開催したような場合であれば、公聴会の内容が無視されるのは理解できるが、国会でのことなので、参議院のあり方に少々疑問を持つ。もう少し参議院の中で議論をしてから法案の可決は考えて欲しいものだ。

それだけや野党の勢力が弱いのか、やはり与党が圧倒的に強い、ということなのか。



「教員免許更新、09年度に導入…教育改革関連3法が成立」(Yomiuri Online から記事を引用)

 安倍首相が掲げる「教育再生」の具体策の第1弾となる教育改革関連3法が20日の参院本会議で自民、公明両党などの賛成多数で可決、成立した。民主、共産、社民の各党は反対した。


 3法の成立で、2009年4月から、教員免許に10年の有効期間を設ける更新制が導入されるほか、08年4月から小中高校で副校長や主幹教諭など新たな職種の設置が制度化される。

 成立した3法は、学校教育法、地方教育行政法、教員免許法及び教育公務員特例法の各改正法。昨年成立した改正教育基本法や教育再生会議の第1次報告を受け、首相が今年1月、今国会提出を指示した。

 改正学校教育法は、幼稚園から大学までの各学校の目的を改正教育基本法に沿って見直した。義務教育の目標に「公共の精神」や「我が国と郷土を愛する態度」などを盛り込んだほか、学校の組織運営体制の強化のため、副校長、主幹教諭など、新たな職種の設置を可能にした。

 改正地方教育行政法は、子供の生命に危険が及んだり、教育を受ける権利が侵害された場合、教育委員会に対する文科相の指示・是正要求権を認めた。昨年、いじめによる自殺や必修逃れ問題で教育委員会の不手際に批判が集まり、制度改正のきっかけとなった。

 改正教員免許法及び教育公務員特例法は、教員免許に有効期間10年の更新制を導入。免許を更新するためには、管理職など一部の教員を除き、30時間の講習が課される。全国約110万人いる現職教員に対し、09年度から更新講習が行われることになる。

 また、指導が不適切な教員については、免許更新制とは別に、従来の人事管理システムの徹底で対応。都道府県教委などが第三者や保護者の意見を基に認定を行い、認定された教員には指導改善研修を実施する。研修中の教員は免許更新講習を受講できない。

 首相は同日、首相官邸で記者団に3法の成立について、「教育現場を一新し、教育新時代を切り開いていきたい」と語った。

(2007年6月20日23時15分 読売新聞)



以前に書いたか忘れたが、教員免許の更新制など、実態に合っていないものだ。教員免許というものは、一般の国家資格と性格を異にする。一般の国家資格は、例えば司法書士や司法試験を考えれば分かるように、、その資格を取得するために、ちゃんと試験を受けて、その実力があることを認定された者に付与されるものだ。

車の運転免許でもそうだろう。ペーパーテストと実技試験をクリアしてからでないと、免許は取得できない。その取得する資格を与えても問題ないと判断されて、はじめて資格(免許)が付与される。当り前のことだ。

だからこの資格を与えられた者が、その能力や技術を一定水準に保つ努力や気構えなどが必要だ。その一助として更新制という制度があるのだろう。

ところが教員免許というのはそのような構造になっていない。大学で一定の単位を習得すれば試験を受けなくても資格を取得することができる。つまり教員免許というのは、教員になるための能力があると判定されて付与されたものではないし、教員としての実力があるとはっきりと認定されて付与されるものでもない。単に大学の必要単位を揃えた者、ということであるに過ぎない。

大学での教職課程を履修した者ならたいていは知っているが、教育原理なり、教科教育法(専門の科目によって内容が異なる)などで習う内容は、全国一律の内容ではない。学部の一般の講義と同じように、担当する教員によって内容が異なる。講義内容は教員の恣意的とも言える内容で、事実、大学の教職課程を履修しても、教える能力や技術はまったく身に付かない。

そもそも資格というものは、全国一律の内容を持っていないと、基本的には資格の要件を満たさないものだ。

大学で単位を揃えただけなので、教員免許を更新するといっても、どうもピンと来ないし、実質的に内容や意味ががあると思えない。教員免許を取得しても、そのまま教師としての能力や教える技術を取得したことにならないので、そもそも更新制というもの自体に馴染まない。

教員の場合、客観的に見て、教員免許の取得で、教師の能力があると思われているのではなく、公務員の採用試験で、その能力が判定されているのだと思う。

要するに免許という国家資格の問題ではなく、一般の公務員と同じような採用試験を通ることで、実際には、その能力が認定されているはずだ。

その意味からすると、免許の更新制導入をするよりも、任期制の方が実態を合っていると思うし、教員の問題には適しているのではないかと思う。

具体的には10年、とか場合によっては5年とか任期を決めて、その任期がくれば原則解任され、それと同時新たに次の任期まで採用が継続される、というものだ。

よほど問題がなければ基本的には再任されるようにする。問題がある教員の場合には次の任期には再任されない、という形にすればよい。採用試験の時にその能力が判定されたわけだから、採用した都道府県が、教員の質や能力、やる気などをチェックして、教員という名の職員を管理する責任がある。

やる気があって、学校の発展に一役買った教師や生徒の能力をちゃんと伸ばせる教師は問題ないが、やる気のない、なんの結果も出せず、学校の雰囲気や風紀維持もきちんとできない教員には去ってもらう、というのであれば、更新制よりも任期制の方が合っていると思う。

もっともこれは実質的には、今回の更新制と似たようなものだが、任期制の方が厳しくてよいのではないかと思う。それだけ教員側に緊張感をもたらす。

この任期制は公務員の採用形態や雇用形態にも馴染むものだ。同じように任期制を採用しているのが、裁判所である。裁判所の判事(裁判官)は任期制である。確か10年ごとの任期で、原則再任だが、何か問題があるとはじかれることになっている。

裁判官の任期制を考えれば、決して公務員の採用形態として特異なものではないし、個人的には、いい案だと思うのだが。

しかしながら、この任期制を教員に適応した場合、一つまずいことがある。それは政治的な心情などの理由で、採用されている自治体から再任拒否される可能性があることだ。

この場合、教員としての能力はきちんとある場合で、政治的な心情その他の理由で再任拒否された場合のことだ。これは明らかに憲法違反、人権侵害に当るが、いちいち裁判で争っていると時間ばかりかかるし、弁護士も立てて、ということなので、人権侵害に当っても、その心理的・経済的負担がかなりあり、実質的に大変なことになるだろう。

ところで更新制の場合は、国家資格としての教員免許を問題にするので、例えばある教師が更新の際に、更新要件を満たさないものがあって、更新できず、クビになった場合でも、ある程度客観的に判断している、という建前を取りやすい。本当は更新の際の要件が具備されていなかったというのではなく、教員の思想・心情が再任拒否の理由だったとしても、それを隠して客観的な建前をとれる可能性が考えられる。

任期制の場合には、採用してる自治体の主体的な判断によるので、更新制のような客観的なフリはしずらく、政治的な思惑や視点は常に介在しやすい、という認識を一般国民が持ちやすく、この点からも更新制よりも任期制の方が適しているような気がする。

この問題は、もう法案が可決したので、意味が無く、この辺りで論じるのを止めておく。




それにしても、記事にある、「改正地方教育行政法は、子供の生命に危険が及んだり、教育を受ける権利が侵害された場合、教育委員会に対する文科相の指示・是正要求権を認めた。」という一文は、確かにその通りだろうが、考えてみれば、これほど異常なことはない。

学校という場で、どうして「子供の生命に危険が及ぶ」とか「教育を受ける権利が侵害される」ということが、そもそも発生するのかだ。

何気なく書かれているこの一文は、明らかに異常な事態を物語っている。今回の法案が可決された大きな理由は、やはりこうした異常な事態が学校で実際に起こっているからだろう。

なんで学校にいて生命の危険にさらされるのだろうか?どうして学校にいて、教育を受ける権利が侵害されるのだろうか?実に変であり、異常だ。

学校にいて生命の危険にさらされるというのは、尋常ではない。それを食い止めるために、なぜ新たに法案を可決せねばならぬのか。ここがよく分からないところだ。教師がきちんと生徒を見ていれば防げることではないのか。法律など作っても、教師が生徒をきちんと見ていなければ、事態は何も変わらないのではないのか。

なぜ学校にいながら、教育を受ける権利が侵害されるのか。教育をする場所が学校なのは言うまでもないが、その学校で教育を受ける権利が侵害されるという。世界史が必修科目であるにも関わらず、これを習うことができなかった、という意味での「教育を受ける権利の侵害」なのだろうか?

いずれにせよ、自分は、子供もいないし、大人で、二度と学校へ行く必要がないから、気は楽だ。ダメ教師を追い出すなら早くした方がよい。

2007年6月20日水曜日

精神障害が急増

精神障害が急増しているというニュース。15日の記事だが、気になるので、ここにメモしておかなければならない。


「精神障害が急増、300万人突破…07年版白書」(Yomiuri Onlineより記事を引用)

 政府は15日午前の閣議で、2007年版「障害者白書」を決定した。精神障害を持つ人の数は05年に約303万人となり、02年から約45万人増え、初めて300万人を超えたことがわかった。疾患別では、そううつ病などの「気分(感情)障害」が増加し、33・3%で最も多かった。


 高齢化に伴うアルツハイマー病の増加も精神障害の急増の原因になっている。

 精神障害を持つ人のうち、在宅(通院)は02年から44万人も増えて約268万人に、施設入所は1万人増えて約35万人になった。白書をまとめた内閣府は、「現代社会のストレスの増加や、心療内科の増加などで医療機関を受診しやすくなったからではないか」と見ている。

 一方、知的障害のある人は05年で約55万人。このうち、施設に入所していない在宅(通院)が約42万人と、前回調査(00年)から約9万人増えた。身体障害のある人は01年で約352万人だった。

 白書は、06年度に改正障害者雇用促進法など障害者の社会参加を促す法律が施行されたことを受け、内閣府が精神、身体など様々な障害を持つ約5000人を対象に行ったアンケート調査の結果も紹介している。

 「この10年間で、障害のある人が働きやすくなったと思うか」と尋ねたところ、「変わらない」と答えた人が39・5%と最も多く、「とても働きやすくなった」「働きやすくなった」の計36%を上回った。「やや働きにくくなった」「とても働きにくくなった」は計14・1%だった。

 「障害がある人が働くことに対する社会の理解があるか」との問いには「あまりあると思わない」「あると思わない」が計55・9%に上った。「働くことに関して障害を理由に差別を受けたと感じたことがあるか」との問いにも「とてもある」「少しある」が計52・1%と過半数を占めた。

 こうした状況を受け、白書は、「権利擁護への一層の取り組みが必要。障害の有無にかかわらず、相互に尊重し支え合う『共生社会』の実現が重要課題だ」と指摘している。

(2007年6月15日13時39分 読売新聞)



高齢化が進んでいることから、アルツハイマー病の増加により精神障害の数が多くなったというのは分かるし、無理のないことだ。これは誰のせいでもないし、社会的な病理とも違っている。

ところが、そううつ病などの「気分(感情)障害」が増加し、33・3%で最も多かった、というのが問題だ。

うつ病はたぶん増えているだろう、という感覚は自分からも分かる。それだけストレス社会になっていて、気分や感情の障害が増えているのだろう。

だが一方で、ストレス社会のせいで気分や感情の障害が増えている、という理由だけで、簡単にこの問題を片付けるわけにもいかないような気がしている。

単なるストレスーーーーこういっては何だがーーーーーがあるだけで、はたして精神障害が発生するだろうか。少なくとも通常のストレスのレベルで精神障害の発生が「増加」するなんて、やや異様ではないか?

つまりストレスだけが理由ではないか、ストレスが原因だとしても、それが普通のレベル(この普通のレベルのストレスという言葉もあやふやで分かりにくいが、誰でも持っていて、通常は障害が発生しないレベルのこと)ではなく、過剰なまでに強いストレスを抱え込んでいる場合だろう。

経済や金融の世界も、かなりきわどい状況だし、政治的にもこの先どうなるのか、という状態だが、ここへきて、人間(国民)の精神状態も、かなりヤバいところに来ているのかも知れない。こうした問題はもっと論じてよいのではないか。

この記事では、精神障害の増加と、精神障害の人に対する社会の理解の問題という、2つのことが書かれている。

障害者に対する社会の理解は以前よりも進んでは来ているように思うが、実際はまだまだだろう。障害者も金銭を得ることができなければ、生活ができない。それを支援する企業などは、まだまだ少ないに違いない。

個人的な関心から言うと、障害者と社会との関係よりも、精神障害の増加の方に興味がある。それは社会がかなり病んでいる証拠だと思うからだ。ここを何とかしないかぎり問題は解決しないばかりか、問題は大きくなっていくばかりだと思うから。

社会の病んでいる、その病根のようなものは一体なんなのだろうか。

2007年6月19日火曜日

金融・経済について、いくつかの記事

金融・経済についていくつか気になったもの。今日のうちに急いでファイルしておくことに。


「アジア金融危機から10年、忍び寄る新たなリスク-前回と同じではない」(Bloomberg.co.jp)


最初はブルームバーグにあった記事で、アジアの金融危機に関するもの。不気味な内容だが重要なもの。しかしここで書かれている内容では、アジア通貨がなぜ今、大きなリスクを持っているというのか、あまりよく分からない。記述が大雑把だ。すぐ近くに危機が迫っているかのような口調だが、その説明に具体性が欠ける。




「今週の内外経済金融情報の展望」(スリーネーションズ・リサーチ)

久々に植草一秀の書くコラムを見たら更新されていた。ブルームバーグの記事よりも整理され分かりやすい内容。金融経済の問題を広い視野で解説している。



「日本株、バリュー投資の季節」(金融そして時々山)

たまたま見つけたブログにあった文章。内容的にも分かりやすいし、まとまっている。よいブログだ。



以下はニュース。

「日銀総裁、利上げ判断に参院選の影響「全くない」」

「金融拠点づくり、都市再生に着手・政府方針」

「諮問会議、骨太の方針を答申・経財相「改革の方向性示せた」」

(以上3つのニュースは、Nikkei Netより)

今回はニュースの量が多いので、引用して、メモを書き加えることはせず、リンクだけにとどめる。

2007年6月18日月曜日

参院選のリスクはあるのか

参院選挙が視野に入ってきた。これがどの程度市場に影響を与えるのだろうか。これからの相場の見通しについてロイターに詳しい記事があったので、引用しておく。


流動性資金のマトは米欧株か、日本株に参院選リスク」(ロイターより記事を引用)
2007年 06月 18日 15:00 JST

[東京 18日 ロイター] 週明け18日の東京市場で円安圧力が増すとの見通しが広がっている。金利差に再び注目が集まりつつあり、市場では円キャリートレードの活発化もささやかれ始めた。だが、グローバルにどの市場にマネーが流入するのか「テーマ不在」との声も浮上している。

 一部にはグルリと一巡して米、欧州の株に過剰流動性マネーの焦点が当たるのではないかとの見方が出ている。他方、円安でドル換算の株価が下がっている日本株には、円安が止まらないと手を出しにくいとの声や、参院選での与党敗北観測も日本株にはマイナスとの見方が出ている。

<福井総裁発言をきっかけに、外為市場で円安地合い強まる>

 18日の市場では円がジリジリと売られ、ドル/円は123円半ば、ユーロ/円が165円前半から半ば近くで推移している。市場では、15日の福井俊彦・日銀総裁の会見で利上げに一段と強気のコメントが出ず「7月利上げの可能性が急低下し、円が売られやすくなった」(邦銀関係者)との声が出ていた。

 また、個人投資家のドル買い/円売り、ユーロ買い/円売りなど対主要通貨での円売りの姿勢が鮮明で「利食いの円買い戻しのそぶりを見せない個人投資家の円売り一辺倒の取引パターンが、円安のテンポを結果として速めることになっている」(外資系証券関係者)との見方もあった。

 こうした円売り地合いに関連し、三井住友銀行・市場営業統括部・チーフエコノミストの山下えつ子氏は「日銀が8月ごろに利上げするというのが市場のコンセンサスのようだが、仮に8月に0.25%の利上げを実施しても、日米間や日欧間の絶対的金利差は大きく、円金利上昇の本格化が視野に入ってくるまでは、円安基調は続くだろう」と予想している。

 同時に商品や株のグローバルな価格下落を通じ、円高方向に向かう圧力の源泉となっていた世界的な金利上昇が足元で一服していることも「円高方向へのけん制の力が弱まって、円安に行きやすくしている要因になっている」と山下氏は指摘する。

 現在のような地合いが継続すれば、この1カ月間でさらに円安は進み、ドル/円で120円─128円、ユーロ/円で160円─170円のレンジを山下氏は想定している。

 <円キャリー拡大の思惑、不透明なマネーの流入先>

 こうした円安の進展は、円キャリー取引の拡大を伴うとの見方が市場で浮上している。「世界的な金利上昇の基調の中で、日本の金利の上がりにくさは、やはり注目に値する。資金調達の通貨としての魅力は全く下がっていない。キャリー取引は、今のままの環境が続くなら拡大し、世界に流動性を供給する構図が継続するだろう」(別の外資系証券関係者)との見通しが出ている。

 ただ、グローバルに特定のマーケットが注目されているわけではなさそうだ。海外勢の動向をウォッチしている信州大学経済学部教授の真壁昭夫氏は「ヘッジファンドなどは、足元でマネーをもてあまし気味のようだ。10年米国債り回りがいったん5.35%まで上がった際には、米国債購入を積極化させた向きが多かったようだ」と述べる。

 <世界経済の成長前提に、商品や米欧株に注目の声>

 真壁氏によると、一部のヘッジファンドはフィリピンやインドネシアなどの国債を物色しているが、この先は「再び米国と欧州の株にマネーを振り向ける可能性が高そうだ」と分析する。

 東海東京証券・チーフエコノミストの斎藤満氏は、別の理由で米株に焦点が当たるとみている。斎藤氏によると、足元でヘッジファンドなどは「テーマなし」と新たなネタ探しをしているが、一部のヘッジファンドは中国の外貨運用をする新機関が米ブラックストーン・グループ(BG: 株価, 企業情報, レポート)に30億ドル出資することに注目しているという。30億ドルの規模は大きくないものの「ブラックストーンが得意にするM&Aや米株のトレードが注目されやすいとの思惑が出ている」(斎藤氏)という構図ができつつある。

 これとは別に世界経済の拡大基調が確認されつつあり、その成長の中核である新興市場国の成長とリンクしている「原油などの資源を中心とした商品にマネーが回帰する公算が大きいのではないか」(第一生命経済研究所・主席エコノミスト、熊野英生氏)との予想も出ている。

 <円安進展でドルベースの下落リスクがある日本株> 

 だが、日本株に世界のマネーが流入するとの見方は少ない。財務省によると、今年1-5月に海外勢は日本株を5兆4154億円買い越しており「海外勢が日本株を買っていないわけではない。ただ、かつてのようにインデックスでドーンとは来ていない。国際競争力のある一部製造業などを買っている海外勢が多い」(真壁氏)という。

 海外勢が大挙して日本株を買ってこない理由として、円安の進展を挙げる声もある。冒頭の外資系証券の関係者は「円安が進んでいる間は、日々、ドル換算の日本株の価格は下がる。もともと新興国の株のように大きな上昇は望めない中で、円安が止まらないと機関投資家などは手が出せない」と指摘する。

 <参院選で与党劣勢の観測、株安・円安材料に>

 さらに追い討ちを掛けているのが、このところ強まっている参院選での与党敗北観測だ。国内の新聞や通信社は安倍晋三内閣の支持率低下を報道し、一部では30%割れとの数字を示している結果も出てきた。読売新聞朝刊など一部の新聞は13日、小泉純一郎内閣で政務秘書官を務めた飯島勲氏が12日に講演し、その中で「現状では、公明が11議席、自民が40議席前後で与党は過半数を10─13議席割れて大変な事態に陥る」と述べたことを伝えた。飯島氏は同時に「年金を含めて国民の理解を得る施策を発表すれば、過半数はいく」とも述べた。

 このような報道がある中で、海外勢の一部には「安倍首相は参院選後も大丈夫なのか」との声が出てきている。先の外資系証券の関係者によると、安倍首相のスタンスに一部の海外勢は不満を持っており、与党敗北が直ちに日本株売りにはつながらないと説明する。 しかし、真壁氏は「最近、複数の海外勢から聞いたところでは、選挙の結果に関心が高まっており、政局不安の通貨やその通貨建て資産は買わないとの意見だった」と述べる。熊野氏も「与党過半数割れなら、日本株売り/円売りになるだろう。債券はそのときの地合いを見ないと何とも言えない」と話す。

 ただ、中長期的には楽観的な声もある。斎藤氏は「円安が止まれば、日本株の割安感がクローズアップされるのではないか。秋から年末にかけてその時期が来る可能性もある」とみている。

 別の外資系証券の関係者は「秋以降、本格的なM&Aが出てくれば、日本株に注目が集まるきっかけにはなるだろう」と述べている。



さすがにロイターだけあって、他のニュースサイトよりも記述が詳しい。全体を上手くまとめている。

ロイターの相場についての見通しについて、個人的によく見ているのだが、ここでコメントを出している証券会社の人は、他ではコメントの内容を控えめにしている印象を受ける。ロイターの記事に使われるコメントの方が、個人的な印象では、ややシリアスであるという気がする。

だからわりと参考にはしている。個人的に最近の金融の現状で気になっているのが、円安と、参議院選挙の問題である。

円安について、この記事では、円安が進んでいる間は外資などが買ってこないのではないか、という記述がある。これは確かに円安が続けば、それだけ買った日本の金融資産が、対ドルとの間では目減りするから当然考えられることだ。

ただし、個人的には、もうそろそろ円安といっても買ってくるのではないかと考えている。それは、近年の円ドルの動きを見ればわかる。

円はだいたい120円前後が円安の頂点で、その付近にくればリバンドして、やがて円高方向に行く。そして110円を切って、105円くらいまで行くと、今度はまたリバンドして円安方向に行く。この繰り返しの動きを、ここ数年続けてきている。

この動きから大きく逸れて極端な円安に行ったり、円高に行ったりはしていない。だからもうそろそろ反転して円高に向かう時期にさしかかっている可能性がある。

それを見越して、外資が日本の金融資産を買いに動くというシナリオは当然に考えられるので、そろそろ買ってきてもおかしくない。

ところが、ロイターの記事では、参議院選挙で与党が敗北など政局不安がある場合には、海外勢が買ってこないで、日本売りによる円安になる可能性があるという。特に与党過半数割れの場合にそうなるのではないか、という。

確かにそうした観測は妥当だろう。海外勢は政治的に不安定な要素を嫌うところがあると思うので、選挙の結果、与党が破れて、従来の政策路線が変更される場合には、かなり様子を見るだろうと思う。

参議院の場合、衆議院と違って半数改選だし、言わば「政治のプロ」が集まる衆議院とは少し様子も違うので、選挙結果がストレートに市場に反映しない可能性もあると思う。

それでも今回の選挙は「参議院の選挙」というよりも、実質的には安倍内閣の支持率の問題であると思う。この選挙で与党が破れた場合、それは「もう国民は安倍内閣を支持しない」というメッセージになるはず。

これを考えると選挙結果は非常に重要で、次の衆議院選挙にも影響が出る。それを思うとこれからの政治の動きが複雑になり、海外勢には読みにくいので、円は売られる方向ということか。

その場合には、円安は選挙後もしばらく続くことになってしまう。ただその場合にも、いつまでも円安というわけでもないだろう。時期が来れば円高方向へは進むはず。問題はそのタイミングだ。

どういったタイミングで為替というものが大きな転換点を迎えて、方向を逆にして動くのか、その一点に、今は興味があって、よく見ておきたいと考えている。

だがこれが意外と分かりにくいのだろうと思う。ちょっとしたことが転換点になり、その後いくつかの事象が起こって、あれよあれよという間に為替の方向が変るのではないかという気もする。

現在の円安は日本の輸出業には有利だ。この円安で享受できる有利な利点をいつまでも続けさせるほどアメリカは甘くないだろう。海外勢が政治的に為替を動かす切っ掛けを作るのかも知れない。

2007年6月17日日曜日

株の恐ろしさ

オー・エイチ・ティーの株が暴落したことで、信用買いでの資金を回収できない証券会社が出てきているらしい。


「2007/06/16-06:15 証券会社、数十億円損害の恐れ=東証マザーズ・OHT株急落」(時時ドット・コムより記事を引用)

 東証マザーズ上場の電気検査装置製造「オー・エイチ・ティー」(OHT、広島県福山市)の株価が先月急落し、信用取引を行っていた顧客に貸した資金を回収できない証券会社が相次いでいることが、16日までに分かった。回収に支障が出ている証券各社の損害額は合わせて数十億円規模になる可能性がある。
 OHT株は今年、1株101万円から150万円の間で推移。5月に入って120万円前後で取引されたが、同15日から急落、同月のうちに10万円台まで値を下げた。今月15日の終値は15万7000円だった。


ヤフーでオー・エイチ・ティーの株価の推移を見ると、こんな感じで暴落していた。これを見ると株の怖さが分かる。これは新興市場の銘柄の怖さでもある。東証一部に上場している企業、それも一流で立派な会社の株であれば、このような動きをすることはまずない。

ITバブル崩壊の時でも、オー・エイチ・ティーほど急激な下げではなかった。(もっともそれに近いところはあるが)120万前後で推移していた株がいきなり20万割れの15万7千円なんていう数字になってしまった。

これを買った人はどうなってしまうのだろうと心配になる。信用で買っていた人はもうすってんてんだが、現物で買った人も悲惨だろう。もう株価は元に戻る公算はかなり低い。

このオー・エイチ・ティー株は2005年から上がり出したが、上がる以前の株価と現在の暴落した株価とがだいたい同じくらいの額だ。

きっと今までの高い株価はバブルだったのだろう。今は元の株価に戻っただけだ。

それにしても証券会社が信用で貸した金を回収できないというのは、はじめて聞いた。普通、信用取引きであれば、追証があるし、これを差し入れないと、強制的に株は決済されてしまうはず。

チャートを見ると、5月に大きな窓を開けて下げた。たぶん、ストップ安の連続で値がつかなかったのだろうか。それで追証の差し入れや決済が遅れたのかね?

それにしてもこの下げは異常だ。空売りでもかけないと、ここまで下げることはできないはず。しかし、この銘柄は貸借銘柄ではなっかたはずだ。では一体、どうしてこんなに下げたのか?

下げの理由は決算で赤字を計上して下方修正したということがあったが、6月15日の発表では、「連結が07年4月当期赤字転落4.17億円、08年4月予想3.13億円の黒字」というものだった。赤字額は大きく売り込まれるほどのものではないし、これが暴落した理由だとは思えない。

それに株が暴落し出した時点では、正確な数字はともかく、確か下方修正自体の発表もされていなかったんじゃなかったのか?

つまり結局は、これだけ暴落する理由は今でもよく分からないのだろう。やはり新興市場の株などに手を出すべきではないのだろうと思ってしまう。

それにしてもオー・エイチ・ティー株をここまで売り込んだ者が誰なのか興味がある。どこかの外資が売り込んだのかも知れず、これならあり得るところだ。

2007年6月16日土曜日

外国人の持ち株比率と個人株主

外国人の持ち株比率が過去最高の28%になったという記事と、個人株主の増加による総会への出席に関する記事。それとメモ。


「持ち株比率、外国人が最高の28%・06年度全国5証取」(Nikkei Netより記事を引用)

 東京証券取引所など全国5証券取引所(ジャスダックを除く)が15日発表した2006年度の株式分布状況によると、外国人の保有比率は28%と05年度から1.3ポイント上昇し、4年連続で過去最高になった。個人株主数(延べ人数)は120万人増の3928万人と11年連続で最高を更新。投資単位を小口に下げる企業が多く、個人の投資を促した。

 外国人は昨年度、株式を6兆円強買い越した。投資は幅広い銘柄に及び、保有比率は33業種のうち29で高まった。増配など株主提案をする海外の投資ファンドも相次ぎ、企業経営に与える外国人の影響力が増している。

 個人株主の増加を後押ししたのが株式分割や投資単位の引き下げだ。分割などでより少額から投資できるようにした企業は昨年度だけで200社を上回った。ただ、企業の不祥事が相次いだ新興市場銘柄で増加に急ブレーキがかかった。個人株主数は04、05年度と年率2—3割のペースで増えたが、06年度は4.8%増にとどまった。


外国人の株主が増えているということだが、我々のような個人には実感のないものだ。外国人により日本株への投資が過去最高というのだから、80年代のような日本企業が絶好調だった時代よりも投資する外国人が増えているわけだ。

80年代のように、日本企業が光り輝いている時に投資でもすればよいものの、まだ景気が回復もしていない状況の中で投資が盛んに行われている。

つまり、それだけ現在の株価がまだ安くて投資のうま味があるということなのだろう。あるいは、ダウはすでに高値に達しているから、もう投資を継続するのは危険と判断して、日本株に資金を逃しているのかも知れない。

もっとも増配などを株主総会で提案するなど、経営面でものを言う外国ファンドも増えているようだから、日本の企業がまだ収益性の面でも伸びるという認識を持っているのだろうか。

こう考えてると、これからの日本企業はそうまんざら悪くないのかも知れない。日本の個人株主も増えているようだし、また明るい日本経済がやってくるのかも知れない。


「株主総会、個人呼び込みに知恵絞る」(Nikkei Netより記事を引用)

 上場企業が来週から開催が本格化する株主総会に、個人株主の出席を促そうと様々な工夫を凝らしている。新日本製鉄など鉄鋼大手で収容人員が多く、利便性が高いホテルに会場を移す動きがあるほか、事業内容の紹介を兼ねたイベントなどを併設する企業も目立ってきた。昨年の会社法施行で企業統治における総会の重みが増し、M&A(企業の合併・買収)が活発になるなか、個人株主の存在感が増していることが背景にある。

 新日鉄は総会の会場を今年からグランドプリンスホテル赤坂(東京・千代田、旧赤坂プリンス)に移す。好業績や業界再編期待などによる株価上昇に伴う個人株主数の増加で、昨年の総会には1637人が参加。東京本社内の会場では収容しきれなかった。今年は「昨年の出席者の2倍の人数が来ても、十分に座れる」という会場を確保した。会場の変更は23年ぶりで、ホテルを使うのは今回が初めてだ。



個人株主が増えたおかげで、株主総会へ個人株主を出席させるための「企業努力」があるようで、ホテルを使い、まるでイベントのような総会でも目指しているのか、と思わせる感じだ。

外人買いに対抗するための一環として、できるだけ多くの個人に株を持ってもらう。しかもできるだけ長期に渡って保有してもらい、というkとをやってきた。そのために株式の売買単位を買いやすい単位に落としたり、株主優待制度を作ったり、あるいは配当金を上げたりと、様々な工夫をしてきた。

その結果、個人株主が増えたのだから、個人株主を増やす工夫は、取り敢えず成功だったことになる。

従来の株主総会なんて、企業同士が株式の持ち合いをやっていたから、そういった会社から担当の社員が出席し、提出された議案については事前の連絡などがあって「異議ナシ」で賛成し、15分程度で終ってしまったと聞く。

それが最近では個人株主を意識した総会へと変化したわけだ。株主が総会や事前の通知で議題について意思表示しない場合は、賛成したと見なす規定を置く場合が多いだろう。それに個人株主の比率が上がったといっても、議決を左右するような大株主の存在とは違っている。

それを考えれば何も個人株主を総会に出席させることにこだわる必要はないと思うのだが、その点はどうなのだろう。

2007年6月15日金曜日

Win版のsafari発表

Win版のサファリが100万ものダウンロードをしたという。


「ウィンドウズ版「サファリ」が100万ダウンロードを突破」(Nikkei Netより記事を引用)

 米アップルは15日、同社製ブラウザー「サファリ」のウィンドウズ版(パブリックベータ版)を11日(米国時間)に公開してから48時間でダウンロード数が100万件を突破したと発表した。また公開後に発見されたプログラムのバグのうちのいくつかに対応した修正版を14日に公開したという。アップルの更新プログラムを使うと自動的に最新版に差し替えることができる。
 現在公開されているサファリは正式公開前の試験版であり、操作画面の表示は英語のみで、多くの日本語サイトの表示には未対応だ。アップルではこうした問題やセキュリティー上の欠陥などを利用者から報告してもらうようにする仕組みをパブリックベータ版に搭載している。


アップルのブラウザである、サファリがウインドウズに対応した。iPodなどの音楽プレーヤに止まらず、今度はウェブの世界で使えるブラウザを出してきた。

音楽はネットの世界でもダウンロードして曲を買う時代になり、(これもアップルが切り開いてきた分野だ)ネット閲覧はすでに多くの人にとって生活の一部だ。自分もネットで様々な情報を取得している。これがないと身動きがとれない。

今回のサファリで、音楽とネット閲覧という2つの大きな分野にアップルが大きく進出してわけだ。アップルは先日、携帯電話も発売すると発表したし、着々とネットや通信の分野でその地盤を固めてきている。これから何をするのか、どういった企業戦略を取るのか興味深いものがある。

サファリの実力は、まだ日本語に対応していないので、未知な部分もある。日本語に対応してからが適正にその実力を評価されるだろう。それまでは多くの日本人は様子見だろう。自分も日本語に対応してからダウンロードするつもりだ。

ダウンロードの件数が多いのは、Winユーザーもサファリには興味があるということだ。ウインドウズはビスタが出たばかりだし、IEもバージョンアップしたばかりだが、アップルのブラウザやOSはデザインの美しさではWinよりも優っている。

アップルのサイトに接続すると、新OSのことが書いてあるページがある。それを見ていると、ビスタの方がどこか凡庸で、つまらない。この新しいOSはMacでもウインドウズを使える機能を装備するそうだから、普段ウインドウズを使っている人でもMacを買って、そこにWinを入れて、両方のOSを使える、ということができる。

Macはウイルスに強いというからMacでネットサーフィンをやって、必要な時にWinに戻るというやり方をすれば、ネットからの攻撃を半減できるかも知れない。

とにかくWin用の製品を出してきたアップルは、これからもWinを意識した製品を出してくると思えるので、個人的には注目している。

2007年6月14日木曜日

フライドチキンと裸の女性

ケンタッキーフライドチキンの店の前で、動物愛護の外人女性2人がフライドチキンを買わないでと抗議したという記事。


「「フライドチキンNO!」裸にハートの厚紙、女性が抗議」(asahi.comより記事を引用)
2007年06月14日13時42分

 大阪・キタの路上に14日、「動物への思いやりを」などと書かれたハート形の厚紙を体の前後にまとっただけの米国人女性2人が突然現れた。2人は大阪市北区角田町のケンタッキーフライドチキン梅田HEP通り店前で、「フライドチキンを買わないで」と英語で抗議。曽根崎署員は当初は静観していたが、見物人で通行の妨げになるおそれが出たため、抗議をやめるよう求めた。

2人は米国の動物愛護団体「PETA」のメンバーで、鶏の飼育環境について問題提起するのが目的。今週、東京で毛皮製品の製造・購入にも抗議する。日本ケンタッキー・フライド・チキンの広報担当者は「直接言ってきているわけではないので、コメントできない」と話している。



なかなか面白い2人だが、今さらなぜケンタッキーの前で抗議活動をする必要があるのだろうか。

鶏の飼育環境に対する問題提起だそうだが、その飼育環境がどれくらい問題なのかこの記事ではまったく書いていない。

彼女たちが言う、飼育環境という問題をきちんと訴えていたのかは定かでない。彼女たちの、そのいでたちが派手であったため、その点ばかりに目が奪われており、路上で訴えていたのに、記事に書かれていなかったのかも知れない。

今週に東京でも抗議活動をするらしい。今度は毛皮製品に対する抗議活動だそうだ。東京でも同じような派手ないでたちで登場として、話題になるのだろうか。

男の目には刺激的で、これならアピールすることができるかも知れないが、あの裸に近い格好
では、話題になっても、肝心の動物愛護の問題が裏に隠れがちだろう。

もう少し考えてやった方がいいのではないかと心配になった。

2007年6月13日水曜日

元市職員の給与返還訴訟

実質的に働ける健康状態だったにも関わらず、病気を理由に休暇、休職を取り続けた市職員に対する、給与返還訴訟が結審した。この記事と思い出したことのメモ。


「6年で出勤10日 元市職員の給与返還訴訟が結審 奈良」(asahi.comより記事を引用)
2007年06月13日12時22分

 病気を理由に約5年10カ月間に10日しか出勤しなかった奈良市環境清美部の元職員中川昌史被告(43)=懲戒免職、職務強要罪で公判中=を相手取り、同市と同市職員互助会が病気休暇・休職中に支払った給与など計約2297万円の返還を求めた訴訟の第1回口頭弁論が13日、奈良地裁(坂倉充信裁判長)であった。中川被告側は欠席し、答弁書も提出しなかったため、この日で結審した。判決は7月5日。

 訴状によると、中川被告は01年1月〜06年10月、多発性神経痛、過敏性腸症候群などの病名で計71通の診断書を市に提出。計48回の病気休暇・休職を取った。だが、この間、部落解放同盟の支部長として市との協議に20回にわたって出席したほか、市役所にも度々出入りし、実質的に経営していた建設業の営業活動をしていたとしている。

 市側は昨年末、中川被告に返還を求める催告書を送ったが、期限の2月15日まで支払いがなかったため、4月に提訴に踏み切った。


まだ判決は下りていないので、この裁判の結論部分は明確ではないが、結論は見えているので、それを論じる必要はないだろう。

この記事では、提訴した側が市だということだが、この職員が休職中や休暇中、そのあまりの長い期間に渡るものでありながら、当時どうして休職や休暇が許可されたのかに不明瞭なところがある。

休暇や休職の要件を満たせば、それを許可せざるをえないのが原則だろうが、いくらなんでも約5年10カ月間に10日しか出勤しなかったというは異常だ。どうしてこんな状態が許可されたのか。

こうしたケースで支払った給与の返還を請求するのは当然である。いくら公務員とはいえ、働いていない実態があるのに、そこから労働の対価たる給与が支払われるのはおかしい。これは不当利得の一種とも言えそうだ。



昔の話しだが、都立高校では一週間に一度、教員には自宅研修という制度があった。教員が授業の準備や勉強に使う時間で、学校に行くことのない日が、毎週一度あった。

一応この日も労働時間であって休日ではない。しかし実際は休日扱いにしていた教員が多かったようだ。それでも労働日に数えるわけだから、そこから給与が出ていた。税金からこんな金の使い方が大っぴらにされていた。現在は分からないが、今でもあるかも知れない。

もちろん、それで、日教組運動をやっていた人もいただろう。自宅研修で遊んだ次の日に学校に来て、国家公務員法で一律全面禁止されている争議行為などをする、ということが行われていたのも事実だろう。

こうしたことが今でもあるなら、今回の訴訟のように給与の返還請求をするべきである。今回の訴訟を見ているとそんな気になってくる。

やはり税金で給与が出るので、実態に合った給与の支払いがなされるべきである。労働実態と支払われる給与の額が相当なものでない場合、これは問題にすべきだろう。

今は民間でも少ない給料で生活がたいへんだし、例のフリーター問題や派遣社員の問題などある。それらの人達からも税金を取り立てて、そこから公務員の給与が支払われているのだから、これはどうにも納得できないものだ。明らかに公務員への給与の払い過ぎはおかしい。

こうしたことを是正するのに、本来、議会というものがあったはずだが、今回は司法の判断ということになった。今回の奈良市の議会ではこの問題、どう論じられているのだろうか。

2007年6月12日火曜日

スティールパートナーズ代表の会見

投資ファンドに関する記事と短めのメモ。


「「長期投資が基本」強調・米スティール代表が初の会見」(Nikkeinetより記事を引用)

 米投資ファンドのスティール・パートナーズを率いるウォレン・リヒテンシュタイン代表が12日都内で記者会見し、「企業との関係を重視する投資家で、3―5年の長期投資が基本」と説明した。スティールが仕掛ける買収策に新株予約権割り当てで対抗を狙うブルドックソースには「反対(活動)を進める」と述べ、差し止め請求などにより法廷で是非を争う可能性も示唆した。

 リヒテンシュタイン代表は欧州系証券会社が主催するセミナーで講演するため来日した。記者会見を開くのは世界で初めて。「我々は誤解されている。(活動内容を説明するため)ここにきた」と会見開催の理由を述べたうえで「日本の企業を啓蒙(けいもう)したい」と語った。

 スティールがTOB(株式公開買い付け)を仕掛けているブルドックは、対抗策として7日、新株予約権を割り当てる方針を発表。ブルドックが24日の総会で出席株主の3分の2以上の賛成が必要な特別決議を諮ることに対して、同代表は「会社法の株主平等の原則に反する」と強調した。 (22:06)


スティール・パートナーズはよくメディアに乗るので、名前だけは知っていた。投資ファンドだということだけで、どんな人達なのかは知らなかった。

3年から5年の長期投資が基本というスタンスらしいので、株価をわざとつり上げて、高値で売るという仕手的な方法を使うわけではないようだ。

3年から5年というと、だいたいは株主総会でいろいろな経営に関する意見を出して、企業努力を最大限に引き出して業績を上げていく方法なのだろう。社員にとってはキツいことになるが、業績を上げていくので、株価は上がるだろう。上がったところで株を売って、次の投資先に移っていくのだろう。

最近はブルドックにTOBをかけることで話題になっているが、個人的にはこの問題に興味はない。今の日本企業で質の良いところは、当然にファンドや外資などに狙われやすいのは目に見えている。

ブルドックはその中のひとつに過ぎない。これからも同じようなニュースが出て来るだろう。もうそれは決まりきっている。テレビで見たが、スティールPの代表が自分の会社を守るには「結局は株価を上げることだ」と言っていた。

これは分かりきっている。買収をするのに、それに見合わない高い株価であれば投資は見送るのだから、子供でも分かる当然の理屈だ。

しかしそれでも日本の企業の株価はまだ安い。アメリカの株から比べれば時価総額の低い企業が多い。そのわりには、重要な技術を持った企業が多い。これは外資から見れば本当おいしい状態だ。

去年辺りから日経はじわじわと上げてきているが、再度の株の相互持ち合いなどで時価総額を上げてきたのだろう。そうやって株価を上げて防衛の一助にしたのかも知れない。

それでもまだ時価総額は安い。ダウはずっと上げ調子で、日経の足踏み状態を続ける今は、ダウと株価の乖離が離れている。株式交換を使えば簡単に買収できる。

スティールが次に手がける案件がどんなものなのかも興味はないが、年内に同じような案件がいくつ出てくるのか、という「形式」的な数字には興味がある。こうした客観的な数字の方が事態をよく把握できる場合が多いと思うからだ。

これから2、3年ほどの買収案件の総数がどの程度に達するかで、我々が置かれている本当の状況がはじめて分かるのだろう。

2007年6月11日月曜日

三島由紀夫の映像

YouTubeで三島由起夫の動画を見つけた。たぶん、これはNHK辺りで放映したものを編集して載せたものだろうと思う。残念ながらテレビ番組の方は見ていない。いつもあまりテレビは見ないから、見逃した。

ただ今回、ネットではじめて三島の生の声や動く姿を見ることができた。へー、こうだったのか、と関心してしまった。なかなか面白いもので、何度でも観てしまう。三島関連で見つけた動画をいくつか。

□ □ □ □ □

三島の市ヶ谷での演説の一こまと、インタビューらしき映像。市ヶ谷の映像は短いが、どこか胸に来るものがある





東大全共闘と三島の映像。時代性を感じる。当時の東大生の雰囲気も分かる。三島の話しは面白い。確か場所は本郷ではなく駒場だったと思う。(違うかも知れない)





三島が外国人のインタビューに英語で答えている映像。珍しい。三島が若い者を集めて軍服を着せ、整列させているところの映像もある。

2007年6月10日日曜日

CIAの収容所

CIAのテロ容疑者収容所がルーマニアとポーランドにあったというニュース記事と若干のメモ。


「CIA収容所を確認 ポーランドとルーマニア 欧州会議」(asahi.comより記事を引用)
2007年06月10日00時59分

 欧州46カ国でつくる人権擁護機関の欧州会議(本部・仏ストラスブール)は8日、テロ容疑者を収容する米中央情報局(CIA)の収容所がポーランドとルーマニアに設けられていたことを「確認した」とする調査報告書を発表した。収容者を鎖につないだり、裸のままにしたりするなどの人権侵害が行われていたと指摘した。両国政府は収容所の存在を否定した。

 報告書によると収容所は03〜05年に置かれ、CIAが直接運営。米同時多発テロの計画立案者とされるハリド・シェイク・モハメド容疑者らが収容されていたという。

 欧州会議は昨年6月、ポーランドとルーマニアに収容所が置かれていた可能性を指摘し、欧州の多くの国が移送拠点などとしてCIAの作戦に協力していたとする報告書を発表した。ブッシュ米大統領も9月、国外拘束施設の存在を認めたが、具体的な国名は明らかにしていなかった。

 報告書は、両国の当時の大統領が収容所の設置を許可していたと指摘。米国の経済支援を強く望んでいたことから、収容所の設置対象国に選ばれたと分析している。

 報告書をまとめたスイスのマルティ上院議員は記者会見で「欧米情報機関の関係者から匿名で証言を得た。証言はすべてクロスチェックして確認した」と述べた。


なんとも恐ろしいニュースだ。例え目的がテロの防止だとしても、これはやり過ぎだろう。考えてみれば、なぜアメリカが外国で収容所を作れるのだろうか。そもそもこの辺りから疑問だ。

各々の国は主権国家なのだから、外国が運営する収容所など作れるはずがないし、こうした存在が許容されるとも思えない。それが何故可能だったのか、ここから問われる必要があるだろう。

欧州は人権のうるさいところだし、そんなところで、アメリカのCIAが自分たちの好きなように、収容所を作っていたとは驚きだ。もっともこの収容所はアメリカが勝手に作ったというよりも、ポーランドやルーマニア政府は当然に知っていたはずだし、収容所を作る際に話しはあったはずだ。

その意味ではアメリが勝手にやっているとは言えないかも知れないが、それにしても、ポーランドやルーマニアのどういった地域に収容所は作られていたのだろうか。

アメリカ軍の施設の中か?それともアメリカ政府とは表面的に関係ないそぶりをした建物に収容所施設を作っていたのだろうか。

ーー考えてみれば、ルーマニアやポーランドにアメリカの収容所があったということは、アメリカ政府の都合で設置することができる機関を外国にも作ることができるという意味だ。だからテロ収容所以外にも、他の目的で作れるアメリカ政府機関が存在してもおかしくないということになる。

また、アメリカの友好国であれば、こうしたテロ収容所や他のアメリカ政府の施設がいくつも存在している可能性もあるということだ。

例えば、それは日本に存在しても不思議ではない、ということになる。特に日本を含みアジアの場合、アメリカは政治的に深く関わってきた。欧州にはないアメリカ軍の基地もある。アメリカ軍の基地にいろいろな施設を併設してあったとしても不思議ではないわけだ。

そうゆうことを考えていくと、我々の住み日本という国も、もしかすると同じようなアメリカの施設が存在するのかも知れない。

次のサイトにはタイやアフガニスタンにもCIA秘密収容所が設けられていたとされるとしている。

東奥日報の「ニュース百科」ーーーCIA秘密収容所

2007年6月9日土曜日

食パンについて

最近、毎日食べる食パンに少しこだわっている。毎日食べるものだから、科学合成の添加物などが入っていると、身体に少しづつ蓄積して、健康を考えるとよくないと思うからだ。

それで、近所にある手作りパン屋で、食パンを買うことにしている。これだと添加物などが加えられていないので、比較的安心して食べることができる。できるだけ添加物の入っていないものが食べたい。

食パンを買う店は決めていない。いくつかパン屋があるので、その時に応じて買う。それでも最近は歩いてパン屋まで行き、買って来るのが面倒になった。

歩けばそれだけ健康にもよいが、都内では車の排気ガスなどで空気が汚れており、歩くことが必ずしも健康づくりに貢献しないのではないかという気がしている。

幹線道路などを長く歩いてしまった時など、いささか気分が悪くなるのは、車の排ガスのせいだろう。歩くならできるだけ車の通らない道の方がいい。そうしないと肺がやられてしまう。

パンに話しを戻すと、先日、イトーヨーカドーやジャスコに行った時、無添加を表示した食パンを売っているのを発見した。値段も240円くらいだったか、あまり高くない。

これらのスーパーの食料品売り場には、手作りのパン屋が店を開いていて、そこでも無添加の食パンが買えるが、普通のパンの売り場にも無添加表示の食パンが売っているのである。

だから必ずしもパン屋まで歩いて買わなくても、スーパーで買えばいいというのを知った。実際に買って食べてみると、味はたいしたことがないが、まあまあの味だった。少なくとも満足はできる。例えばこの種のパンである

ところで、気になる食パンなどに入っている添加物には、イーストフードと乳化剤がある。この2つが表記してある場合は、買うのを止めることにしている。これらの添加物について説明しているサイトには、こんなところがある。 あるいはここ

スーパーで買う際は、他の必要な食料品と一緒に買えるので、便利だ。ただ賞味期間が短いので、買ってから長く置いておくと、悪くなる。だからできるだけ頻繁に買ってこないといけない。

しかしスーパーだとそんなに頻繁に毎日のように買い物はしないので、これだと食パンを買える機会が減る。そこでいっそのこと、自分で作ってしまおうか、という考えが浮かんだ。

ネット調べてみたら、簡単にパンが焼ける器具がメーカーから出ている。例えばこうゆう機械を買って、あとはパン作りを解説した本を買って作り方を理解し、材料を買ってくるだけだ。

作るのは少し面倒だが、何が入っているのか分からないパンを買うよりは数倍ましだし、自分で作れば、添加物排除の件は完璧だ。自分作って食べることほど安心なものは他にはないだろう。「安心さ」ということであれば、自分で作るのが一番だ。

ただし、これをやるには、本を数冊買って勉強しなければならない。いささか面倒だ。どの程度続けられるか自信がない。それでまあ、今のところ、スーパーに行った際はスーパーで買い、スーパーに行かない日はパン屋まで歩いて買いに行く、ということをしている。

自作のパンを作るという案は捨てがたいものがある。いつか自作のパンを毎日食べることをしてみたい。慣れてくれば、いろいろな種類のパンを作ったり、自分なりに工夫することもできるようになるだろう。

2007年6月8日金曜日

派遣労働者の給料

日雇い派遣の給料からの天引きに関するニュースとメモ。


「日雇い派遣の天引き給与「返金応じる」 折口会長が明言」(asahi.comより記事を引用)
2007年06月08日21時17分

 8日、コムスン問題で記者会見したグッドウィル・グループの折口雅博会長は、別の子会社で「日雇い派遣」大手のグッドウィル(東京都港区)の給料天引き問題について、派遣労働者から申し出があれば返金に応じる方針を明らかにした。

 折口会長は「強制的にとれるものではなく、納得いただけていない人に関しては返金が必要だと思う」と語った。

 日雇い派遣各社は、派遣1回あたり200円程度を、保険料などの名目で給料から天引きしていた。月20日間働けば年間5万〜6万円程度になる。

 グッドウィルは制度を廃止したが、任意の支払いだと主張し、過去の天引き分の返還に応じない姿勢だった。しかし、同社の派遣労働者でつくる労働組合は、事実上は強制で使途も不透明だとして返還を請求。賃金の未払いだとして労働基準監督署に一斉申告する動きも広がっていた。

 1日3万人近くを派遣するグッドウィルでは、年間徴収額は約15億円に上るという。同グループの06年6月期の連結当期利益は34億円で、返還が大規模に行われれば業績にも影響が考えられる。


一回の派遣で200円程度と安いように思えるが、年間のトータルでは5、6万ほどというから、バカにならない。

派遣会社は、もともと雇った労働者からピンハネをして儲ける商売だ。それには本来、労働者と派遣会社との信頼関係が重要だが、それが崩壊しているのだろう。派遣労働者側から、天引きした金の使途が不透明だとして返還請求をされた。

考えてみれば、派遣労働者を受け入れる、企業が、一人の派遣労働者の労働の対価たる、金銭をいくら派遣会社に支払っているのか、不明だろう。

一人の派遣社員の労働から得られる金銭が一体、いくらなのか不明確なのだから、実際にどの程度のピンハネが行われているのか、見当もつかない。

派遣会社も、派遣社員に対して、「今回の仕事で相手側の企業から○○円出ます。うちは派遣会社としてあなたからピンハネするのは、そのうちの○○パーセントの○○円です」などと説明するわけがないし、どのように派遣社員の給料が計算されているのかも実は不透明だろう。

この一回につき200円程度の徴収でも、グッドウィルで年間15億円にもなるという。同グループの06年6月期の連結当期利益は34億円という数字を考え併せると、どうもしっくりこない数字だ。

この一人から200程度の金銭徴収で15億もの収入があるわけで、この記事では、「同グループ」の「連結当期利益が34億」とある。この6月期の意味が、正確に書いてないが四季報には、この会社の決算が6月末とある。だから記事にある「6月期の連結利益」とは、年に一度の本決算のことだろう。

年間の利益が34億円で、今回の200円のピンハネが15億というと、年間利益のやく半分近くに当る。もっともグッドウィル側の言うように保険に使っていれば話しは別だが、保険等の必要なものに使っていない場合には、年間の利益の半分近くをここから出していたことになってしまう。

今回の200円の件以外にも、企業への紹介料などとしてピンハネをしているわけだし、しかもその本来のピンハネ料の方が、今回の200円よりも高いはずだから、あまり計算が合わない。

グッドウィル・グループ全体でみると、他の会社が儲けをだしていないか、また必要な経費がかかるのか、この両方がないと、儲け分が6月期の連結利益に、きちんと反映していないのではないか、という気もする。

グループ内にどんな会社を抱えているのか知らないが、派遣会社など、小さな事務所さえあれば、営業できるもので、必要経費や設備投資はたかが知れている。金をかけてそれを消却するのに、営業利益が大幅に削られた、というのも想定しにくいように思う。

個人的にこうした派遣会社の経営実態は知らないし、会社経営もしたことがないから、会社全体の会計がどのようになっているのか分からない。でも、今回の件から察して、派遣会社のそもそもの収入の程度や、会計など、どこか違和感を感じるものがあった。

2007年6月7日木曜日

学校における競争原理

一週間くらい前のニュースだが、大学や学校に競争原理を導入したいという、教育再生会議第2次報告についての記事があった。この記事と思いつきメモ。


「大学や学校に「競争原理導入」 教育再生会議第2次報告」(asahi.comより記事を引用)
2007年06月01日23時14分

 政府の教育再生会議(野依良治座長)は1日、総会を開き、安倍首相に第2次報告を提出した。大学など学校間に競争原理を導入することで予算配分の適正化や教員の資質向上をめざすことを提言。授業時数(コマ数)を増やすために、必要に応じて夏休みや土曜日を活用することも打ち出した。個人の価値観にかかわる分野では、現在の「道徳の時間」を「徳育」として教科化することも提唱している。

 この日の報告は今年1月の第1次報告を具体化したもので、その内容は6月中に閣議決定する政府の「骨太の方針」に盛り込まれる。安倍首相は1日夜、首相官邸で記者団に「こうすれば日本の教育は良い方向に変わっていくという提言をいただいた」と語った。

 第2次報告には、第1次報告の目玉の一つだった「ゆとり教育の見直し」のための授業時数10%増の具体策として、夏休みや朝の15分、土曜の活用が盛り込まれた。土曜授業については、週5日制を基本としつつ、教育委員会や学校の裁量で必要に応じて補習などを実施できるとしている。

 学校への競争原理導入は第2次報告の柱の一つで、成果に応じて国が予算配分する仕組み作りを要請している。学校間の競争によってレベルの底上げを図る狙いがあるが、学校間格差が拡大する恐れもある。

 大学・大学院について「選択と集中による重点投資」と明記。国立大学法人運営費交付金は「基盤的経費を確実に措置する」とする一方で、研究・教育などの評価に基づいて「大幅な傾斜配分を実現する」とした。また、教員の人事・給与の年功序列をやめ、業績に連動した給与体系の導入を求めている。

 小中学校では「地域の実情に留意」したうえで、教育委員会の独自判断で学校選択制を導入できるようにし、児童・生徒が多く集まった学校に予算配分を厚くする仕組みを検討。教員給与は勤務評定を踏まえた給与体系にすることを提言し、08年4月をめどに教員給与特別措置法を改正することを打ち出した。

 首相がこだわる「高い規範意識」の育成をめざす方策も盛り込まれた。子どもの凶悪犯罪やいじめ、学級崩壊などが頻発していることから「規範意識や公共心を身につけ、心と体の調和の取れた人間になることが重要」と指摘。そのために「徳育」の教科化を打ち出した。点数評価はしないが、文科省検定の教科書を使用するとしており、道徳や規範の枠組みを国が「検定」することに異論も出そうだ。

 家族や子育てに関しては、中学校、高校の家庭科で「生命や家族の大切さ、子育ての意義・楽しさを理解する機会を拡充する」と表記。ただ、母乳育児や子守歌の効用をうたった「子育て提言」は、政府・与党内からも異論が噴き出し、最終的に断念した。

     ◇

■第2次報告のポイント

●教育委員会や学校の裁量で、夏休み活用、朝の15分授業、土曜授業を実施して授業時数(コマ数)を10%増やす

●公立学校教員給与は評価を踏まえた体系にする

●教育委員会に「学校問題解決支援チーム」を設置、課題のある子どもや保護者との意思疎通に問題がある場合に解決に当たる

●現在の「道徳の時間」を徳育として教科化する

●全国学力調査の学力不振校に改善計画書を提出させ、国や教委は特別支援を行う

●幼児教育の将来の無償化を総合的に検討する

●大学・大学院での9月入学の大幅促進のため、学校教育法施行規則を改正する

●複数の大学が大学院などを共同設置できる仕組みを創設し、国立大を大胆に再編統合する

●国立大学法人運営費交付金は、基礎的な部分を確実に措置すると同時に、各大学の努力と成果を踏まえた配分になるよう新たな方法を検討する


この記事が便利なのは、記事の後段に第2次報告のポイントが列挙されていることだ。長々とした記事だけでは、つい読み流してしまう箇所でも、こうすれば読み流してしまうことが防げる。

よく学校における競争原理が、教育を再生させるために有効な方法であるかのような議論があるが、これは受験校には有効だが、義務教育や一般の受験とはあまり関係ない高校の場合には、競争すべき目的がないために、非常にやりにくいはずだ。

しかも何を競争させるかが抽象的で、どうもしっくりとこない。また競争によって、どれだけ教育の内容が良くなったのかを判断するための基準が不明瞭で、ちゃんと学校の努力を評価するのは難しいのではないか?

学力の場合は、評価基準として、最低限のレベルと大凡の中間レベルを設定して、その到達させるべき、明確な生徒の人数を上げるなどして、それをクリアーできていれば基本的に問題はないと、いうべきだろう。

最近の学力低下問題は競争の問題ではなく、ある一定のレベルを、大部分の生徒(全員というのは実質的に無理がある)に身につけさせるということだ。それができていないから問題なのだと言うべきだ。

やはり受験と関係ない範囲で学力で、学校間の競争はしんどいだろう。意味のない競争に子供は巻き込まれるのも、見ていて忍びないものがあるだろう。

ただし、いくら競争が学校というものに合っていないからといって、まったく何も責任を問わないのも、考えものだ。どこかで学校や教師の責任を明確にする必要があるだろう。

今まで、学校や教師に、例えばどういった責任があるのか、必ずしも明確ではなかったと思う。学校や教師に具体的な責任が問われないから、ズルズルと学力低下問題やいじめ問題が表面化するほど深刻になったのだと思う。

この責任の中身の明確化は、今回の再生会議でもどうせ議論されていないだろう。

大学についての競争原理、これは大賛成だ。今まで大学には中身を問われない気楽さがあった。適当に学生を就職させていれば、それで良かったという雰囲気がっただろう。これからは教育面と研究面での競争をより全面に出すべきだ。

そうすると、ついて行けない大学教師が続出する恐れがあるが、それは大歓迎で、ダメな研究者は退場してもらいたい。大学は文字通り遊園地でもないし、病院でもないのだ。遊んでいたり、そこで寝ていたりすれば良いという場所ではない。

今はどうだか知らないが昔は、学生の卒業旅行にくっついて行きたがる、おかしな教授もいて、「旅行の引率などで学生に協力できる」みたいなことを平然と言っていた、バカたれ教授を具体的に知っている。

教授が学生と一緒に遊んでいる時間はないはずだ。遊ばすために教授のポストが与えられた訳でもないし、遊ばすために、大学に払った学費と税金から給料や研究費が出ているわけではないのだ。そんなことも分からない人間がいたのも事実である。

それにしても、記事にある「子育ての意義・楽しさを理解する機会を拡充する」という発想自体に、多少違和感がある。はたして学校教育・公教育という国が行う教育で、子育ての楽しさ、などというものを10代の子供相手に教える必要があるのだろうか?

最近は30代でも独身の人間が多くなった。教師の世界も同様だろう。それに若い教師なら子供など育てていないだろう(近頃晩婚化しているので)。そんな教師に子育ての楽しさなんて教えられるはずもない。

もっとも、最近は「赤ちゃんポスト」の件でも分かるように、若い親で、子供を産んだのはいいが、ちゃんと育てられない人も増えているようだ。それを考慮した上で、問題意識を教育の中に反映させたかったのかも知れない。

しかし、それでも、学校教育で子供相手に子育ての楽しさを教えるのには違和感は消えない。個人的にだが。

自分自身も学校でひどい目に遭ってきたタイプなので、こうしたニュースをみると、色々と考えてしまうことも多い。今回の再生会議でも、他にいろいろと問題点があるが、全てをここで拾えないので、メモするのはここまで。

2007年6月6日水曜日

WEB2.0について

最近ドコモがDoCoMo2.0なるキャンペーンを張って頑張っているが、残念ながらその内容がイマイチ意味不明になっている。自分もドコモの株を保有しているから、株価が上がって欲しいが、このままだと、しぼんでしまうだろう。

DoCoMo2.0などといって、携帯が新しくなる、というキャッチフレーズを盛んに流している。しかしその内実は携帯自体を振ってプレイするゲームと、音楽のダウンロードなどで、特に目新しいと思えるサービスだとは思えない。新しいと思えるサービスでは、一台の携帯に2つの電話番号とメールアドレスを持たせることができるもの。これは少々コロンブスの卵的なサービスだが、これならauでもソフトバンクでも似たようなサービスはできのではないか?技術的に難しいと思えないし。

ドコモは他社にはマネできないサービスだ、としているが、少なくとも今のところは、いかにもマネできそうなサービスだし、そのうち、間違いなくマネされるサービスだと思う。



そう言えば、肝心のウェブ2.0というもの。これについてそんなにたくさん書くことはないし、そもそもこの言葉自体がすでに古い感じもしている。が、この内容は簡単に一言でいえば、どうも情報の双方向性のことらしい。

ネット自体が昔から、個人が情報を発信できる(このブログみたいに)ことが、今までのメディアと違うところだと言われてきた。そしてそれは事実だし、正しい。

ところが昔はホームページを作るのに、作成ソフトが必要だったし、それを使いこなすのが大変だった時期がある。ホームページ専用の作成ソフトを使わない場合は、普通のテキスト・エディタを使って、自分でタグを打ってHTMLを作って、ホームページを作成するしかなかった。

ウェブ2.0が特に情報発信の双方向性をうたうのは、ブログの爆発的な普及で、作成ソフトも必要とせず、HTMLの知識もまったく不要で、すでにテンプレートが用意されていて、簡単に自分のページを公開できるようになった事が大きいのだろうと思う。

ところが、この種の「ネットにおける情報発信の双方向性」という言葉は、単なる「機械の仕組み」の話しに過ぎなかった、というの本当だろう。雑誌などでさんざんウェブ2.0を煽ったが、
単なる言葉の流行という雰囲気もした。実際は、ブログなどを書き続けていける個人など、かなり少数だし、その中でも有名ブログなど、数えるほどしかないだろう。

情報の双方向性という機械の仕組みは、実はどうでも良いのだと思う。問題なのは、それを使う人間側だ。

いくら個人の考えを世界に向けて発信する、といっても、それがそもそもできなければしょうがない。そもそも文章など、書ける人はそんなに多くないはずだ。文章が書けるとは、単なるリテラシーの問題とは違うのだ。

文章が書ける人間というのは、本を良く読んでいて知識があったり、情報をたくさん持っていたり、あるいは、それなりの考えがあったりする人でないと、文章など書き続けることはできないのではないか?

実際、たいして内容のない個人ブログでも、それさえ作れない人が多い、というのが本当ではないのか。

ここで面白いのは、ネットの世界で、バーチャルな世界という、いわば非現実的な世界として語られることが多い中で、実は画像や動画以外の大半のコンテンツは文字情報であって、その文字情報=文章を書ける人間は、以外と限られるという現実があるということだ。

ネットというバーシャルな世界は、最新の科学技術の上に成り立っている、仮想世界というイメージもあるが、実はそこに発信者として参加するには、今までと同じように、文章力と、知識、アイディアが必要になってくるということだ。

つまりネットの世界は従来の文字の世界とあまり変らないものだったということ。所詮、人間のできるコミュニケーションなど、その方法やあり方など、だいたいはすでにあるものでしかない。

そこで個人のこうした言語能力・文章力の差異により、ブログサービスと平行して、別のサービスがたくさん出てきた。それがSNSだ。

SNSなら、ちょっとした簡単なコメントを書き込むだけで、取り敢えずコミュニケーションが成立して、人間関係も築けるし、暇つぶしにもなるしで、受けているようだ。

SNSの場合なら高度な文章力も不要だし、知識もいらない。アイディアもいらない。単に「今日はこうゆうことがありました」とか、誰かのプロフィールに行って「元気?」などとやっていればそれで成立する。

要するにSNSは誰でもが参加できるサービスだ。で、これをよく見ると、ネットに多くの人達を参加させ続けるためには、機械の仕組むだけの双方向性だけではダメで、もっと内容的に簡単にできるものでないとダメなのだ、ということだ。

ブログなら文章力や知識も必要になるとすれば、これはある一定の人間しかできない。多くの人は双方向性どころは、見たり、読んだりする一方の一方通行のようなものになっている。

そういったネット上の「見て読んで」という「一方通行」の人達のために、別のサービスが必要だろう。そうしないと、このネット上で実は大多数派の「一方通行」の人達が、飽きてしまい、ネットなどあまりやらなくなるかも知れない。

こうした大多数派がネットから撤退したら、ネットを利用して何かやっている人も企業もたいへんだ。そこで出てくるのが、SNS。これを積極的に使うことで、多くの「一方通行」派の人達を取り込んでしまおう、というのが、実はウェブ2.0なのだろうと思う。

つまりウェブ2.0とは、文章の書けない人や知識のない人達もネット上に参加させ、ネットに引き止めておくための、方便のことなのだろう。

例えば最近のSNSで、こんなシンプルなスタイルのものを見ると、上記のような考えをどうして持ってしまうのだ。

□「もごもご」

□「Timelog」


ここまでシンプルで簡単だと、その存在意味すら疑いたくなる要素もあるが、これも使う人間しだいで、使い方では面白く使えるのだろう。

ウェブ2.0はどう考えてもネットの可能性なんて話しではなく、ネット上にいかに多くの人を引きつけ(集客力の一つ)そこから、経済的な利益を引き出すかという問題にすぎないだろうと思うが、あまり皆、露骨にこうゆうことを言わない。

言った方が、物事の本質が見えやすくなって、いいと思うのだが。

2007年6月5日火曜日

秋葉原のオタク狩り

秋葉原でオタク狩り、なんていうのがあったのを知らなかった。オヤジ狩りというのは知っていたが。


「オタク狩りに対抗?「アキバ」で銃刀法違反の摘発急増」(asahi.comより記事を引用)
2007年06月05日17時31分

 電気街としてだけでなく、アニメグッズなど「オタク文化」の発信地としても知られる東京・秋葉原で、銃刀法違反容疑での摘発が急増している。その多くが同法22条の違反に当たる「正当な理由がないのに刃体6センチをこえる刃物を携帯していた」というケースだ。警視庁が理由を分析したところ、「オタク狩り」と呼ばれる強盗被害に遭った際の護身用との動機が多かった。

 秋葉原を管内に抱える万世橋署では、02年には、銃刀法違反容疑での事件送致の件数は1年間で3件しかなかった。それが03年には7件、04年には35件に増え、05年には84件と3年間で28倍になった。84件という数は、警視庁全101署の中で、新宿署の189件に次いで2番目に多い。

 万世橋署が銃刀法違反の現行犯で摘発された人に対し、刃物を携帯していた動機を尋ねたところ、多くが「脅されたり、殴られたりしたときの護身用」と答えたという。

 警視庁幹部は「新宿は、暴力団員や不良少年が刃物を携帯していて摘発される場合が多い。一方、秋葉原で摘発されるのは、まじめでおとなしそうな若者たちだ」という。

 同庁が改めて調べると、秋葉原では最近、「オタク」と言われる若者を狙った強盗や恐喝事件が頻発していたことが分かった。

 昨年11月には、新型ゲーム機の発売日に大学生(20)ら2人が殴られて3カ月の大けがを負わされた上、現金4万5000円などを奪われた。今年に入って逮捕された千葉県内の少年らは「発売日なら金を持ったオタクが集まると思った」などと供述した。

 秋葉原での摘発例は、こうした被害に備えて法律違反になることを知らずに刃物を携帯していたケースがほとんどで、起訴されることはまれという。

 しかし、護身用というのは銃刀法の「正当な理由」には当たらず、逮捕または書類送検される可能性がある。同庁生活安全部の幹部は「十徳ナイフやカッターナイフでも、種類によっては、ポケットやかばんの中にすぐ使えるような状態で入れていれば違反に問われることもあるので注意してほしい」と話している。


この記事では、オタクの人達が自己防衛する目的で、刃物を携帯していたという。個人的にオタクの人達のイメージとしてあるのは、善良で大人しくて、趣味に没頭していて、世間のことに対しては、あまり興味を持っていない、というものだ。

そして、大人しいと同時に、ひ弱というイメージもあり、不良少年の恐喝の対象にはなりやすいだろうと思う。まあ、オタクの人々が恐喝事件や強盗事件に遭いやすいというのも、どことなく分かる気もするし、それに対して自己防衛手段を講じて、刃物などを携帯するのも、無理もないことだと思う。

秋葉原でこうした、オタク狩り、というものがあるのであれば、それだけ恐喝や強盗を行うつもりで秋葉原に来ている者もそれなりに多い、ということを意味するのだろう。

これは少し心配なところだ。秋葉原で恐喝や強盗を実行しようとするのなら、何もオタクな人ばかりが狙われるとは限らない。

電気街だから、家電などを購入するつもりで秋葉原に来る人も多いだろうから、現金を持っている場合も多いだろう。また日本語の分からない外国人もいるし、最近では女性だって秋葉原に多くなっているようだ。

つまり脅しに抵抗しづらい女性とか、お金をたくさん持ってきている外国人を含めた買い物客が多くいるわけで、恐喝や強盗に狙われやすい人達が、オタク以外にもたくさんいることになる。

それを考えれば、オタクが防衛手段としての刃物の携帯をするのを、銃刀法違反で逮捕することにエネルギーを費やすよりも、恐喝・強盗の撲滅にエネルギーを費やして欲しいものだ。

秋葉原での見回りというと、煙草を吸っている人に注意して罰金を取るというものがあったが、それよりも、警官によるパトロールの方が必要になってきた。東京もそろそろ治安の悪い都市に変貌でもしているのだろうか?

自分もたまに最新パソコンを直にチェックするために秋葉原に行ったりするが、人通りの少ないところなどは避けて歩いた方がいいの知れない。新宿の歌舞伎町などと違って秋葉原は安心だというイメージが強い。それが徐々に崩れてきているとすれば、何とも残念なことだ。

2007年6月4日月曜日

上海株の下落

上海株が下落している。今まで上げるだけ上げてきたようで、そろそろ調整が来たのだろう。この調整がどの程度のものなのかで、日本株への影響が決まる。


「上海株、一時7.6%安 世界同時株安以来の下落率」(asahi.comより記事を引用)
2007年06月04日15時09分

 週明け4日の中国・上海株式市場は、株式投資過熱抑制策への警戒感が根強く、個人投資家を中心に売りが膨らみ続落している。市場全体の値動きを反映する上海総合株価指数は一時、前週末終値(4000.742)比で7.6%下げ、3700を割り込んだ。世界同時株安のきっかけとなった2月27日以来の下落率だ。

 午前の取引は、前週末終値比4.59%安の3816.972で終わった。



「上海株が大幅続落、終値8.26%安」(Nikkei Netより記事を引用)
 【上海=渡辺園子】4日の上海株は続落。上海総合株価指数は前週末終値比8.26%安の3670.401で取引を終えた。株式取引にかかる印紙税率引き上げで急落した30日の下げ幅(6.50%)を上回る大幅下落となった。 (16:41)


今日の上海市場は大幅下落だったようだ。これが単なる調整なのか、それとも株式バブルがはじけた、という恰好のものなのか、そこが問題である。

確か上海株は制度上、空売りがなかったと思う。現物だけでやっている市場ではなかったか?中国の株式市場には先物も存在しなかったと思うので、急激な株式の下落はないと思える。

売るにしても現物だし、よほどのことがないと現物株で損切りなしないだろう。空売りがあれば、下落局面で猛烈に売り込む投機筋が出てくるが、それがないとすれば、単なる調整に終ると見た方が無難だという気がする。

確かポールソンが先物市場を開設するように中国側に働きかけていたと思うが、先物もないので、株価操作もそんなにはできない。これはヘッジファンドみたいな投機筋が、投機的な仕掛けができない、ということでもあるが、同時に市場を安定させようとしても、先物などを通じて操作することはできないという意味でもある。まあ、先物がないのも、市場が複雑化しないだけマシという気もするが。


信用取引で、空売りができないからといって、それでは一切、空売りのようなものができないのかと言えば必ずしもそうではない。

例えば少し前に、ゴールドマン・サックスが不二屋が不祥事を起こした時に、貸借銘柄でもない不二屋の株を空売りしていたのが、ネット上で話題になった。

これは生保などの大株主から株を借りて、それを高い所で売り、下がったところで買い戻せば、儲かるというものだ。ここからも分かるように信用取引きなどなくても、空売りはできるのだ。

だから上海市場でも大株主から株を借りて、それを売り、下がったところで、買い戻して株を返却すれば、儲けることができる。少なくとも論理上は可能だ。

こうやって株価や市場を操作することは可能だろう。中国にはすでに外資がたくさん入り込んでいるから、金融技術に通じた連中も、うじゃうじゃたくさんいるはずだ。この連中が何か機会でもあれば、上海株を売り込んだり、株価や市場を操作することはできるだろう。

ともかく下落局面が続いたり、下落率が高い場合は注意したい。

2007年6月3日日曜日

年金問題、入力ミス2割 都内の台帳対象に調査

年金問題で、オンライン上に納付記録がなく、東京都内の年金台帳には、そのうち2割の記載があったというニュース。


「年金、入力ミス2割 都内の台帳対象に調査」(asahi.comより記事を引用)
2007年06月02日15時08分

 過去に支払ったはずの年金保険料の納付記録が見つからず、受け取る年金額の目減りなどが生じている問題で、社会保険庁のオンラインシステム上で見つからなかった年金記録のうち約2割が年金台帳には記載されていたことが、同庁の東京都内を対象とした調査で明らかになった。台帳からの入力ミスなどが原因とみられる。「宙に浮いた年金」はオンライン上に5千万件あり、政府・与党は持ち主の確定を進める考え。だが、調査結果にもとづくとオンライン上にない記録も相当数あるとみられ、救済が不十分となる可能性が高い。

 調査は、3月15日から同月末までの間に、オンラインでは記録が見つからず、東京都内分のマイクロフィルムに保存されている台帳での照会を求められた358件について実施。うち17%にあたる61件で実際に記録が見つかった。

 年金の納付記録は紙の台帳や磁気テープなどで保管されていたが1988年の完全オンライン化に伴い、コンピューターに入力した。その後も、厚生年金の台帳と国民年金の台帳の一部は、マイクロフィルムで保存されている。

 建前上は、台帳の記録はすべて正確にオンライン入力されているはずだが、生年月日の入力漏れや、名前を間違って入力したケースがあることを社保庁も認めている。今回の調査結果は、何らかの事情で記録自体をまったく入力しなかったか、検索不能なほどの大きな入力ミスがあった恐れを示している。

 都内で05、06年度の2年間に、オンライン上に記録が見つからず、台帳にさかのぼって照会した件数は約18万5千件に達する。社保庁はこのうち実際に記録が見つかった件数を明らかにしていないが、今回の入力漏れの割合を単純にあてはめれば約3万1千件。

 政府・与党は今後1年間で、全国で5千万件あるオンライン上の「宙に浮いた年金記録」と、年金受給者や保険料を支払っている人の名前・生年月日とを突き合わせ、持ち主を割り出す方針だ。

 しかし、そもそもオンラインに未入力の記録があるなら、記録の統合は不十分となり、問題は解消できない。そのため、民主党は「台帳とオンライン上の記録をすべて突き合わせてミスを修正した上で、5千万件の照合をするべきだ」と主張。一方、政府・与党は「突き合わせには10年ぐらいかかる」として、まず5千万件の統合を優先させる考えだ。


当ブログで、以前に年金問題について触れた時、都内や都市圏では年金の納付記録が見つからない、という問題は起きにくい、と指摘したら、案の定、都内では台帳から記録が判明したケースが出てきた。

都市圏で年金納付記録を消したら、パニックが起こるか、暴動が起こるんじゃないか、と書いた。都市圏で年金納付記録を消したら、国民の管理をするのが非常に難しくなり、何とか記録の消去を避ける動きになると個人的には読んでいた。そうしたら、案の定、こうしたニュースが出てきた。

なぜ東京の台帳だけがチェックされたのか、この記事には書いていない。今後他の都市や地方でも、台帳を確認していく作業をするのだろうか?大阪や神戸、名古屋などでの大都市圏ではチェックされるだろう。また福岡や長崎あたりもチェックされるのだろう。

肝心なのは、田舎みたいな所だ。台帳がどうなっているのか、不安の所だ。今後、どれだけ台帳をチェックされるのか分からないし、チェックした結果を素直に公表するか否かも不明だ。社会保険庁のやることなど、まったく当てにならないし、信用もできない。社会保険庁の動きや行動は、国民は、もっと批判的になるべきだ。いや、それだけではなく、逐一、チェックして、おかしな箇所や辻褄の合わない箇所があれば、ちゃんと問題にすべきである。

こうしたことは本来、知識人がしっかりとしていないとダメだが、肝心の知識人がしっかりしていないので、国家の責任の追求ができない。知識人はちゃんと国家を批判すべきである。


それにしても、年金の納付記録が消えた問題で、年金をまじめに払ってきた人々の間では、国家に対する不信感を惹起したと思う。

記録が消えて、年金お貰えない人や、大幅に受給額が減った人を見たら、もう、まじめに年金を払うという人は減るのではないか。せっかく払っても、貰えないのでは話しにならない。

これから払い続けても、いつ記録データが消えるのかも分からないし、また入力ミスで、いつ記録が消されるのかも分からない。だから自分の年金が貰えるのか、不安で仕方がない。

こうした不安を抱えたままでは、年金を払い続けるのはどうも怖い。だから、ただでさえ、国民年金の支払いの悪い状態なのに、もっと払う人が大幅に減る可能性もある。

その時は、現在の年金制度は、あっという間に崩壊する。もう団塊の世代に支払う年金はないだろう。

本当にこの国の状態は恐ろしい段階に入ってきたのだな、という思いを強くする。これに加えて、政府の借金が1000兆円近くあるらしく、こんなのは、とてもではないが、支えきれないし、誤摩化しきれない。また先延ばしも難しい。一体、どうしたら良いのだろうか?

2007年6月2日土曜日

エネルギー関連のニュース2つ

エネルギー関連のニュースを2つに、ちょっとしたメモ。


「ドバイ取引所、中東初の原油先物スタート」(Nikkei Netより記事を引用)

 【ドバイ=加賀谷和樹】アラブ首長国連邦(UAE)のドバイ・マーカンタイル取引所(DME)は1日、中東で初めての原油先物取引を始めた。石油の国際価格形成に生産者の意向を反映させるとともに、石油マネーの運用の場となりそうだ。

 DMEが先物取引を始めたのはオマーン産重質油。オマーン政府およびドバイ首長国政府はDMEでの相場を今後の原油輸出価格を決める際の参考にすると表明した。ほかの中東諸国もDMEの利用を検討し始めているもようだ。

 DMEは取引開始時刻を米ニューヨークでの本格的な取引が終了する米東部時間の31日夕に設定、国際石油価格の決定で中心的な役割を果たす米市場を引き継ぐ取引所と印象づけた。

 DMEはニューヨーク・マーカンタイル取引所(NYMEX)と、ドバイ政府傘下の企業が株式を32.5%ずつ保有する。さらにオマーン政府が30%持ち、残る5%はDMEの会員会社に割り当てられている。

 国際原油価格はこれまで、米欧の原油先物取引所で決まる軽質油の相場が基準だった。



「「すべての庁舎に太陽光パネルを」 温暖化会合で首相」(asahi.comより記事を引用)
2007年05月29日22時23分

 対応できるすべての庁舎に太陽光発電パネルを——。安倍首相は29日あった政府の地球温暖化対策推進本部の会合で、12年度までに全国の政府庁舎に太陽光発電パネルを設置し、屋上緑化を進めるように関係閣僚らに指示した。政府が率先して取り組むことで、自治体や業界での導入を広げたい狙いがある。

 政府機関が入る合同庁舎は全国約360カ所あるが、うち60カ所で既に設置済み。構造上設置が無理だったり、冬場に積雪があったりする庁舎を除くとさらに約120カ所で設置できる可能性がある。政府は、各省庁が管理する出先機関の建物についても、設置検討を求める。

 国土交通省によると、一定規模以上の庁舎にパネルを設置すれば、数万台のテレビを同時に稼働できる数千キロワットの出力が期待できるという。


一時から比べると最近は原油価格が落ちているが、また上がってきたりと、原油価格が不安定な動きをしてきた。しかし原油は主要なエネルギーであるから、価格が不安定である、というのは世界中の人間が困る。

まだ石油に代わる代替エネルギーなんてないわけだし、石油に代わる代替エネルギーが見つかっても、それが普及するには、また時間がかかる。だから石油というのは、本当に重要なものである。

今回のドバイの取引所による、原油の先物取引の開設は、原油価格の行き過ぎる高騰を何とか操作したい、ということなのだろうと、個人的には解釈している。

記事では、実質的には米市場で原油の価格が決っていたという ニュアンスのことが書いてある。ということは、今までの原油の高騰などは米市場でやっていたことになるな。

つまりこれは米国側で好きなように原油価格を操っていたことを意味するのではないか?だとすれば、米市場の終わり時刻に合わせて、今度のドバイ市場が開始時刻を設定するというのは、その行き過ぎる価格操作の修正をしたいのではないか?

そうすれば市場の正常な動きを期待できる、ということで。

考えてみれば中東が自分たちの原油を輸出するのに、自分たちの地域の市場で価格が決らないというのは、奇妙な気がする。価格を実質的に決める中心的な役割が米国だというのだから、どこか臭う。

これはアメリカが中東や原油や自分たちが支配する、とで言いたげな状態だ。

イラクでアメリカが失敗し、ブシュ政権の中心にいたネオコンが次々に失脚していく中で、こうした中東による原油先物市場の開設が可能になったのかも知れない。経済問題というよりは政治問題と考えるべき事柄かも知れない。

もっともそれは今後の動きを見ないと正確には判断ができない。



もう一つのニュース。これは日本の問題。「全ての庁舎に太陽光パネルを」というの、まあ、面白いと言えば面白い。これがうまく稼働したら、少しは省エネに役に立ちそうだ。

だいたい、役所などという所は何の焼くにも立たない所の代名詞的存在だ。税金を裏金にして公務員が湯水のように使ってしまい、それでも国民からむしり取るように税金を取り立てていく。

役に立たないどころか、むしろ国民の寄生虫のような存在が公務員だ。彼等には与えれた予算を使いきることしか念頭になく、予算を如何に余らせるか、などという発想がそもそもない。だから無駄なことにも税金を使ってしまう。

だが、もうそろそろそれは止めてもらうしかない。もう彼等公務員が好きなようい使える税金などないのだ。国民にはそんな無駄な金は本当にないのだ。そんな無駄な金があるのなら、その分を少しでも自分たちの生活費に回したいと願う国民は多いはず。

このニュースのようなソーラーによる省エネなどというもので、国民の税金はたいして浮かないだろう。もっと他にも色々考えて、工夫をして、税金を節約することをすべきだと思う。

少しでも税金を節約させる算段を公務員達にさせないと国が持たない。歳入自体に限界があるのだから、歳出を押さえるしか方法はない。だが、歳出を押さえるのに、いつも公共投資を削減することで、話が止まる。

公共投資は元来必要なものだから、これは実はあまり削らない方が国全体としては上手くいく。だから公共投資の削減で国家財政の歳出を減らすのは、下手なやり方だ。

最初に歳出を減らすのに一番いいのは、公務員の給料を減らすことだ。それから退職金も高すぎるので、これも削減し、公務員の年金も支給金額を減らすべきなのだ。

特に夫婦で公務員として働いている場合には、一世帯分しか退職金は支給しない、という厳しい方針を立てるべきなのだ。例えば夫婦2人で公務員の場合、一人の退職金が3800万だとした場合、2人分で8000万近い金額になり、年金もそれぞれが貰うとなかなかの額になるだろう。

こうした夫婦で公務員というのは、実は教師に多い。教師同士で結婚するというパターンは多いのだ。彼等はどうせ学校崩壊・学級崩壊させた人々で、不登校などで人生が狂った生徒もたくさんいるわけで、もう彼等教師に高額な退職金など払う必要もないし、貰う資格もない人々だ。団塊世代教師に払う退職金などは、きっと全体で凄い額だろう。

しかしそれらは全て税金によって支出されたお金である。もうそんな額が払えるわけがない。定年までにどれだけ、この国を良くしてどれだけ結果を残したのか。これをよく考えることだ。彼等の残した結果は悲惨な社会を作っただけだ。だから余計高額な退職だの年金だのは払えない。国民年金は崩壊しているというのに。

これらを政治の分野で強引に押し切ることだ。

また役所の無駄使いを無くす努力をすることだ。最初に予算を組ませて、それを予定通りに使いきるという方法は、もう止めて、予算を安く押さえて余らせた職員を評価して、業務の合理的な実行の手本にさせる。

どうせ役所なんてたいしたことなどしていない。だから予算の徹底的な合理化をなした職員を評価することで、役所にもやる気を与えることだ。勿論、出世させるのは、こうした予算を徹底的に安く押さえ合理化のできた職員だけにする。

2007年6月1日金曜日

外国銀のキャリー・トレード

外国銀行の日本支店から海外へ送金した額が、昨年末で22兆円だったというニュース。

「外国銀の日本拠点、海外送金が最高に・昨年度末、22兆円」(Nikkei Netより記事を引用)

 日本に拠点を持つ外国銀行が国内から海外に融通した資金は2007年3月末時点で21兆9200億円に達し、年度末で過去最高になった。金利が低い日本の市場でお金を調達し、海外で運用する「円借り(キャリー)取引」が増えたためだ。日銀は「為替相場を大きく変動させる要因になりかねない」と注視している。

 日銀が外国銀行の日本支店64行の取引をまとめた。海外に送った資金は前の年度末に比べて3割増え、2年連続で増加した。日本で調達した円はドルやユーロなどに替えて海外に送金するため、円借り取引は円売り、ドル・ユーロ買いを伴い、円安要因になる。資金は海外市場で、利回りが高い金融商品への投資などに充てているとみられる。(07:03)


考えてみれば、日本が低金利、実質的にゼロ金利状態が長く続いてきた。それは昨年だけではない。それなのに、こうしたニュースは以前はあまり聞かなかった。

今年に入ってから、特に円キャリー・トレードの話が新聞などに載るようになったが、奇妙なことに、それはゼロ金利を解除してから聞くようになった気がする。

ゼロ金利が解除される前の数年間、円キャリートレードは盛んに行われていたはずだ。調達コストがゼロなのだから、当然に円キャリーをするだろうし、またしなければおかしい。

それなのに、ゼロ金利まっただ中の時は、誰も何も言わないのだ。その時に起こっていることは、知っている人間は黙っているということなのだろう。おかしいといえばおかしいことだ。

後から、つまり1年後、2年後、3年後になって、やっと何が行われていたのか、本当のことが分かる。これではマスコミやニュースの意味がないではないか。

マスコミなど、所詮はそんなものだとして、諦めることにする。しかし記事にある小さな何気ない言葉や記述にもこだわって、そこに何かあるのではないか、と疑るスタンスだけは、自分は変えないつもりだ。

もちろん、こうやってブログでニュースとメモを書き留めているのも、そのためだ。