2008年9月4日木曜日

最近の政治や世界の激変

最近の政治や世界情勢の激変には、正直言って付いていけないものがある。国内では福田首相の退任宣言の問題と、それにからむ、今後の政界問題、即ち、政界再編・政権交代の問題。

国際問題は、実に複雑怪奇だ。まず中国の問題がある。先月に北京オリンピックを終えて、中国の経済的な調整を迎えている。中国は万国博覧会をやる予定だそうで、その時までは本格的に中国経済は崩れないという噂もあるようだが、これはあてにならない。

そう言えば、中国はオリンピックで雨が降らないように、気象をコントロールしていたらしい。こんな技術がすでに実用化していたなんて、驚きである。


『「恵みの雨」、問題隠ぺい… 北京、汚染やテロ封じる』(asahi.com)

「北京五輪の開幕前、各国の選手やメディア、観客らが懸念していた大気汚染、食品の安全、テロなどの問題。ふたを開けてみれば、北京に限れば、大きな問題は無かったように見える。人工雨作戦や当局のメディア対策のたまものなのだろうか。

■人工降雨で大気浄化? 

 大気汚染を理由に男子マラソンに選手登録しなかった世界記録保持者ゲブレシラシエ(エチオピア)は女子マラソンの翌日、記者団に苦笑いした。「出ないことを後悔してるかって? 言わせないでくれよ。答えはイエスだ」

 大気は開幕以降、「きれいか汚いか」の境目となる指数を上回ったことがない。車の通行規制や建設工事の差し止めの効果に加え、雨で汚染物質が洗い流されているという事情もある。数日おきに「天の恵み」があるというタイミングの良さがあった。

 国際オリンピック委員会(IOC)は、大気汚染や高温など条件が悪い場合、自転車のロードレースやマラソンなどの耐久競技の日程を延期する準備までしていた。

 しかし17日の女子マラソンはスタート時の気温は23度と想定外。「暑さ対策はばっちりだったのに……」と優勝候補ながら銅メダルに終わった地元の周春秀が恨むほどだった。

 市気象局は4月のマラソン五輪テスト大会の日、人工雨を降らせていた。このため、開催中も人工雨を降らせているのではないかとの見方が消えない。薬剤入りロケット弾で雨を降らせることで雨雲を消す「人工消雨」作戦を、開会式当日に大規模にやったと新華社通信に報道されたことも疑念が広がる一因となっている。

 食品についても、北京五輪組織委員会は22日、「選手村などで提供された130万食は一つも問題はなかった」と発表した。食品テロを警戒して生産者らの犯罪歴や政治思想調査を徹底した。

■140万人「全民皆兵」

 メーン会場・国家体育場(通称・鳥の巣)そばの幹線道路で21日夜、走行中の車が数回、爆音を立てて燃え上がった。すぐに数十人の警察官や消防隊員が駆けつけて通行人を排除。約10分後にはレッカー車が事故車を移動させた。

 「不審物を発見したり事故が起きたりしたら、観衆に見えないように真っ先に隠せ」

 警備の警察官やボランティアらに配られたマニュアルにはこう記されている。市当局者は「外国メディアがたくさんいる北京で、問題を表に出さないことが最重要」と明かす。

 鳥の巣や天安門広場の周辺で、「チベットに自由を」などと書かれた幕を掲げるなどした英国人や米国人らは、駆けつけた警官に取り押さえられた。競技会場内での目立った行動はなかった。

 新疆ウイグル自治区で爆破襲撃事件が発生する中、「いかに北京への波及を防ぐかが五輪成否のかぎ」(北京五輪組織委員会関係者)だった。

 警察官や警備員に加え、29万人の治安ボランティアらを合わせた140万人を超える「全民皆兵」で首都防衛に当たった。公安省によると、8日から15日までの刑事事件発生件数は前月比の66%減、交通事故も83%減となった。」



まあ、こんな記事もあったのだが、次のブログにはこんな記事がアップされていた。


『中国が気象兵器を使ったので集中豪雨になった?』(『ジャパン・ハンドラーズと国際金融情』というブログから引用)

「アルルの男・ヒロシです。

 ぜんぜん根拠はないんですが、私が今感じたことを書きます。

 それは、先週の首都圏の集中豪雨と、中国の北京オリンピックの関係です。

 北京五輪では、北京の上空の空気をきれいにするために、相当に無理なことをやったらしい。色々な化学薬品をばら撒いて、大気をきれいにしたり、雨が降らないようにしたというのはどこかの記事で見たことがある。

(貼り付け開始)

開会式は晴天で…中国気象当局が「消雨弾」1000発

 【北京=関泰晴】北京五輪開会式が行われた8日夜、入場行進などのセレモニーが行われている時間帯の晴天を確保するため、中国の気象当局が1000発以上の「人工消雨ロケット弾」を発射していたことが9日、明らかになった。

 新華社通信が報じた。「中国では史上最大規模の『人工消雨作戦』で、この種の技術を用いて開会式の晴天を確保したのは五輪史上初」としている。

 中国紙・京華時報(電子版)によると、人工消雨作戦が始まったのは開会式の開始2時間前の8日午後6時ごろ。北京市内全域で夜にかけて雷雨となるとの予報が発表されたため、北京市気象局がロケット弾を雨雲に向けて発射するなどの作業を実施したという。

 その結果、開会式が終了する深夜までに、懸念されていた雨は降らず、空中で聖火に点火するパフォーマンスなども予定通りに実施された。

 人工消雨は、液体窒素などを積んだロケット弾を近付く雨雲に打ち込み、事前に雨を降らせる仕組み。市気象局は、リハーサルを6、7月の2か月間で行っていた。

(2008年8月9日12時03分 読売新聞)

(貼り付け終わり)

 そこで、NHKのニュースで、集中豪雨はジェット気流の異常が原因だという風にやっていた。例年と違う流れになっていたという話です。ネットにも似たような記事がありました。

ゲリラ豪雨との「向き合い方」
2008/8/29
http://www.j-cast.com/tv/2008/08/29025991.html

(引用開始)

気象庁気象研究所の楠昌司は「普段は日本海の北の上空を東西に流れるジェット気流が、今夏は日本列島をまたぐように大きく南に蛇行し、北からの冷たい空気が列島に入り込みやすい状態になっている。そこへ温かい湿った空気が潜り込み、強い上昇気流が起き、強い雨を降らせる状況にある」という。

これを裏付けているのが、下水道工事中の作業員5人が濁流に流され亡くなった東京・雑司ヶ谷のゲリラ豪雨(8月5日)。このときの豪雨のメカニズムを研究している防災科学技術研究所の真木真之によると、この日、東京上空には9000メートルに達する巨大な積乱雲が発生していたという。

とくに、真木が注目したのは「風」。例年の夏にはあまり見られない冷たい東風が吹く一方、大量の湿気を含んだ南からの風がぶつかり合い上昇気流となって積乱雲を作りゲリラ豪雨をもたらしたという。

http://www.j-cast.com/tv/2008/08/29025991.html
(引用終わり)

 しかしですねえ、それだけが原因でしょうか。そもそもジェット気流の流れは意図的に作り出されたんじゃないか。北京あたりを晴れにしておくために。

 そうすると、人工的に気象を変えてしまった後遺症があって、それが都内の奇妙な「夕方から明け方にかけての集中豪雨」になったんじゃないか。そう考えればつじつまがあう。

 アメリカでは温暖化対策の一環として、地球エンジニアリング(ジオ・エンジニアリング)を打ち出しています。たとえば、太陽を隠して温暖化を防ごうとする動きがあるほどで、簡単な「気象兵器」がフツウにあるというのは、常識なんでしょう。

 気象は作り出す時代になったわけです。」



こうした記事を読むと、自分の知らぬ間に世界は次々と新技術を開発し、それを秘密裏に実用化しているのがわかる。日本は製品を作る技術は高いだろうが、こうした雨を降らせる技術なんか、あまり高そうではないな。日本の持っている技術なんて、テレビとかDVDとかパソコン関連ばかりで、実はあまりたいしたことないものなのかも、という不安感がちょっと過る。

実に久々の投稿

実に久々の投稿になる。このブログは自分の備忘録のためにある。自分が先月何を考えていたのか、去年はどんなことを考えていたのかを記録するために作られたものだ。

だから、他人が読むためにあるブログではない。公開はされているが、他人が読むことなどまったく考えずにやっている。

ここのところ、ずっと藤原直哉のボッドキャスとを聴き続けている。実に真っ当な内容のものだ。こんな真っ当なことを言う人間が40代でいるとは思わなかった。

「日本と世界にひとこと」「21世紀はみんながリーダー」の2つ番組が非常に興味深い。最近では、もと政治家の熊谷弘との対談がいくつもアップされていて、これも興味深い内容。無料なのに、この内容とは、ホント恐れ入る。

『藤原直哉のインターネット放送局』



・・・・・とにかく、まだ、色々な意味で余裕のある今のうちに、観れるもの(映画とか、絵画とか、写真とか)や読めるものなど、多くのものに接しておくつもりだ。これから一体、自分の生活のどうなっていくのか皆目見当もつかないから。

こんなものは、たいして財産になるわけでもないし、役に立つわけでもないのは分かっている。

まあ、不安そのもの、という心境。

2008年8月4日月曜日

現在、何をすれば良いのか?

こんな状況の現在、自分にできること、あるいは、自分がやっておくべきこととは、一体、何なのか?

実はこれ、よくわからんのだ。今のうちに何をしておけばいいのか、本当に難しい。金を貯めることが一番いいのかも知れないが、案外これは無力かも知れないという思いもある。

今、取り敢えず、自分にできることは、本を読んだり、考え事を続けたり、文化・教養を身につけたりすることくらいだ。これくらいしかできないし、また思いつかない。

本を読んだり、勉強したり、教養を身につけて、一体、どんな役に立つのだろうか。たぶん、たいして役に立たないだろう。そもそも他人は評価をしてくれないわけだから、意味がないとも言える。

それでも、まあ、本は読んでおくよ。

2008年7月21日月曜日

日教組の本当の意味

これは個人的な考えだが、日教組という団体は、監督省庁であるところの文部科学省から、うるさいことを言われないようにするためにの存在するのだ。

なにせ人間はさぼりたいし、大変な思いはしたくないし、できれば楽をしたいものだ。一般の企業に就職せず、教師になる人物など、大変な思いをするのがイヤで、休みが多くて、給料もそこそこ貰えて、社会的なステータスもあるし、会社みたいに潰れないから、教師になったのだ。

最初からそんな動機で教師になったものだから、そもそもやる気もないし、生徒にも教育自体にも興味も関心もない。だがそれだと監督省庁たる文部科学省から、うるさいことを言われかねない。

そこで日教組を作って、文部科学省からの様々な「指導」をかわすことにしたのだろう。そんなわけだから、教育改革などできるわけもないし、日教組が消滅して時点で教育改革ができることになる。


そう言えば、少し前に渡部昇一の『国民の教育』(扶桑社文庫)を読んだ。あまりたいしたことのない、論理的には欠陥だらけの本だった。教育のことなど実はたいして理解できていない人なのではないか?そんな感想だけが残った。実につまらない本だ。




2008年3月2日日曜日

三浦事件(ロス疑惑)が蒸し返される理由

どうして今頃、ロス疑惑をアメリカが蒸し返すのか、奇妙だと思う。ロス疑惑など、もう20年前後も昔のことだし、そんな昔のことを何故今頃?というのが正直な感想だ。

日本ではすでに一応は決着がついた事件だ。日本で決着がついても、アメリカとは別の法律だから関係ない、アメリカでは凶悪犯罪に時効がないから、今でも捜査して裁判にかけることができる、と言っても、何故今頃?という疑問は消えない。

考えてみれば、アメリカのロスなんて、凶悪な犯罪が日本と比較すればたくさん起きているわけだし、殺人事件など日本よりも数倍も多いはずだ。ロス疑惑よりも凶悪な犯罪などたくさん起っているのではないか?ロス市警はその意味で忙しいはずだし、20年も前の三浦事件など今でも捜査を続けているとは思えない。

はっきり言えばロス市警は20年前の三浦事件など、とうの昔に忘れているはずだ。またこんな昔の事件に関わっている余裕も時間もないだろうし、担当だって変わっているはずだ。それなのに、昔と同じ捜査官である、ジミー佐古田というのが、また再び出てきて、何やら事件の立証に自信があるとか、言っているようだ。

これはどうも奇妙だろう。単にロス市警が凶悪犯罪が許せなくて、今の今までこの事件を追ってきて、やっと立証できる段階に来たので、逮捕して裁判をする、というのではないだろうと思う。

裏に何かあることは間違いないと思うが、それが一体、何なのかまるで見当がつかない。この「ロス疑惑蒸し返し事件」は今後もよく覚えておくべき事件だろう。

2008年2月23日土曜日

良品計画の戦略について

良品計画(無印良品)はアメリカ進出にうって出ている。ニューヨークにその最初の店となる旗艦店を開店させたようだ。

このニュースを詳しく見ていないから、ニューヨークの人たちに無印良品が盛況か否かはよく分からない。開店当初はテレビニュースの映像では好評だったようだが、それが長く続くのかは誰にも分からない。

ところで、今の時点でアメリカに進出するのは、時期として本当に適当なものか、いささか疑問がある。今の時期にアメリカ進出をするのはリスクがあるような気がする。いささか心配だ。

というのは、これからアメリカでは景気が減速していき、消費が冷え込んでいくと思えるからだ。無印良品は高級品ではないが、決して安いわけでもない。その安くもないシンプルくらいが売り物の商品をアメリカ人たちが買ってくれるのだろうか。

アメリカの生活雑貨の方が、一般的に言って、見た目だけで言えば、日本の雑貨よりもまだ良くできているように思われるし、無印良品を買うだけの理由がアメリカ人にあると思えないのだが。

まあ、アメリカがこれからリセッション入りしていくのだろう、という観測はだいたい正しいのだろうと思う。またサブプライム問題で、アメリカ人が借金して消費する、という行動様式が崩れてしまったようだ。これが崩れて、もう借金もできなくなった以上、もう余計な物はほとんど買えなくなる。

これは消費が冷え込むことを意味するだろう。だからその影響を良品計画もかぶるのだが、問題はそれだけではない。

もっとも肝心なことは、これからドルが暴落していくだろうと予測できることだ。世界基軸通貨としてのドルがどうも崩壊していく過程に突入しそうなのだ。

例えばドルは原油決済に使われている。ドル建てで原油の取引が行われているのだ。しかし、イランなどはもうこれを嫌がっている。イランは日本に対しては、ドルではなく円で支払いをして欲しいと言ってきた。そしてもう円での支払いがなされているらしい。

この動きは既にイラクがやろうとしていたことだ。フセインはドルではなくユーロ建てで原油の取引をしたいと言っていた。これに対して異常なまでに怒ったのがアメリカだった。そして戦争にまで突入していった。

金との兌換を停止したドルは、実質的にただの紙切れだ。これを通貨として信用を維持するため、原油決済にドルを使うことにしたのだ。世界のどんな国も中東から石油を買う際は、ドルで決済しているのだ。

世界の基軸通貨としてのドルは、だから原油決済が信用の裏付けとして機能している。これが外れた場合は、もうドルの信用の裏付けなどないことになるのだ。だから原油決済に使われなくなると、ドルの力が弱くなるはずだ。

だからこそフセインがユーロ建てでの決済をしたい、と言い出したことは重要なのだった。アメリが尋常でない怒りを露にしたのも当然なのだ。

中東諸国は今のところドルペッグ制を維持しているが、アメリカの経済失速によりドルが下落していけばこれを外していくだろう。サブプライム問題でアメリカの経済・金融がおかしくなってきており、そこから不況が発生してくる。そして同時にドルの力も弱くなる。ドルは下落するのだろう。

ドルが下落すれば、こうれは同時に日本にとっては円高状態であるから、例え無印良品が売れても為替で損失が出てしまう。この為替の問題で、良品計画は将来、苦しむのではないか?

いや、まだ問題がある。それは、良品計画が実質的に生産に使っている中国の通貨、元が切り上がる可能性があるということだ。しかも倍くらいに切り上がる可能性がある。

さらに中国では女工などの人件費も高くなってきているらしい。人件費の高騰と将来、といってもここ数年の間に起ると思われる中国元の切り上げで、生産コストがかなり上昇してしまう可能性が大だ。

つまり、まとめると次のようになる。

1、アメリカの経済の減速により消費が落ち込む。その際に無印良品がアメリカ人に買ってもらえるだけのものであるのか。少なくとも、消費が冷え込めば、その影響を受けるのは必至だ。

2、ドルが暴落していき、円高状態になることが予想できる。この場合、商品が売れても為替で、収益が圧迫される。

3、中国での生産コストが上昇する。それは人権費の高騰(これは高止まりするかも知れない)と中国元の切り上げによる。

4、上記3点から、少なくともコスト上昇と消費の落ち込み、及び円高で収益が出ないことになり、コスト高と収益減で上手くビジネス展開できず、アメリカ進出は失敗する可能があるという気がして仕方がない。

もっとも、実質的に中国元はドルペッグだから、これを外さないかぎり、ドルが暴落してくれれば、例え元が切り上がっても、相対的に日本にとっては元高によるコスト上昇はたいした問題ではない、という予想も立てられると思う。個人的には、だけど。

このような問題もあって、例えば良品計画の株を買う際を注意した方がいいのかも知れない、という気がしている。


2008年2月19日火曜日

どうしてプリンスホテルにこだわるのか

日教組とプリンスホテルにおける、いざこざについての感想。たった一言だけ。

それは使用料金の高そうなプリンスホテルの施設を使う金が、よく日教組にありましたね。ということ。

現場の教師から毎月1万か、そこらの組合費を徴収していて、そこから出す金なら、もっと安い会場を使って節約でもするか、どうせ内容のない研究集会だろうから、集会自体をやめてしまってもかまわないだろうに、と思う。

今回の出来事で印象的だったのは、法務大臣が、「法治国家」という言葉を使っていたこと。日本の閣僚や官僚が意外と使わない言葉だ。でも、こんな事件で「法治国家」という言葉が出るとは思わなかった。法律を遵守するのは当り前だが、それは裁判所での判決や決定が確定してからだろう。今回の場合は、抗告するので、必ずしも当てはまらないのではないかと思うが。

もう一つの問題点である、旅館業法に抵触するのではないか、という舛添さんの見解は、どうなのかな。プリンス側が宿泊まで拒否していたのなら、旅館業法に抵触する可能性は大であるような気がする。

「厚労相「プリンスホテル、法違反濃厚」 日教組集会拒否」(asahi.comより引用)
2008年02月19日00時00分

 日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会をめぐり、グランドプリンスホテル新高輪(東京都港区)が会場使用を拒み、組合員の宿泊予約も解除した問題で、舛添厚生労働相は18日、ホテル側の行為が「旅館業法に違反する疑いが濃厚と思う」と述べ、港区が事情聴取する予定だと明らかにした。ホテル側に対し、行政が指導する可能性が浮上してきた。

 旅館業法は、伝染病や違法行為のおそれ、空室がないなどの理由がある場合を除き、ホテルなどが宿泊を拒んではならないと定めている。指導は都道府県知事の権限だが、東京都の場合は区に権限移譲している。

 また、鳩山法相はホテル側が裁判所の決定に従わず、会場使用を認めなかった対応について「裁判を無視して、これに反する行動を取る当事者がもしいれば、法治国家にあるまじき事態だ」と批判した。いずれも衆院予算委員会で山井和則氏(民主)の質問に答えた。

 この問題では、プリンスホテル側が全体集会で使われる予定だった宴会場と、宿泊室約190室の予約を一方的に解除。宴会場については東京地裁、高裁が使用を認める決定を出したが、従わなかった。宿泊拒否をめぐっては、ハンセン病歴を理由に拒否した熊本県南小国町のホテルが04年、同県から営業停止3日間の処分を受けた例がある。

 プリンスホテル側は「宿泊も集会と同様に、周辺地域に迷惑をかける恐れがあると考えたのでキャンセルした。行政機関に対してはホテルとしての考え方をきちんと説明していきたいと考えている」と話している。

2008年2月17日日曜日

物価高は円高で対応できるのではないか?

最近の日本における物価高は、単純に考えて円高で対応できるのではないかと思うのだが、どうなのだろう。

日本の場合、国内で取れる資源がほとんどないから、多くのものは輸入に頼っている。食品もそうだし、原油などもそう。つい先日も小麦の値段が上がったので、パンを作る会社は、それに応じてパンの値段を上げたい、というニュースがあった。

でも、よく考えてみれば、これらは多くの場合、海外からの輸入なのだから、円が高くなれば、簡単に相殺できる範囲のものではないか?

もちろん、円が高くなれば車などの輸出産業には打撃だ。しかし、貧しい家計を直撃するような物価の高さは避けられる。従来なら円高阻止で、日銀が100円を割らないように、円高になると猛烈な円売り介入をやった。ところが円高にしたいのなら、それを放置して、日銀が介入しないだけで、済むのではないか?

米国の経済も先行き不透明だし、欧州だって、サブプライム問題でかなり金融は打撃を受けているようだ。つまり世界経済は失速に向かいつつある。その意味では日本はこれから輸出産業ばかり考えていても生き残れないのではないか?

つまり内需をもっと拡大していかないといけない。ここでいう内需には、観光などを含めてよいのだが、国内だけでも経済がうまく循環する仕組みを作っていくということだ。

まあ、それが具体的に何なのか、と言われると困るが、個人的には、それは農業なのではないかと思う。農業をもっと振興させれば、食料の自給率の問題も解決してくるし、失業問題や、いろんな問題に波及効果を持って日本社会に良い影響があるのではないかと思う。

だいたい、内需だの、何かこれからの新しい産業などといった場合、その多くは、わけのわからないベンチャー的な仕事内容だったりする。ネット関連などの「虚業」がその典型か。

しかし、そんな抽象的で危なげなものを考えるよりも、もっと実際の国民生活の問題を考えた方がよいと思う。その点、農業ならこれからの日本のあり方を考えるには、考えやすいし、いろいろなノウハウの蓄積もあるだろうし、で、将来の展望を切り開くには重要な産業だろうと思う。

昔、経済学者で、名前は忘れたが、農林水産業を「第1次産業」と呼び、工業を「第2次産業」と呼んで、これからの時代は情報産業などが中心の「第3次産業」に先進国は移行するようなことを言っていた人物がいただろう。

まあ、これは反面は正しいのかも知れないが、全面的には正しくない。人間は「第1次産業」がなくては生きていけないのだ。これを途上国に全面的に移行させても、必ずしもうまくいかないことが、最近は判明しつつある。農薬問題などがその典型だが、ある程度は日本も自前で生産できないとダメな時代になったのだ。

もっとも最近では、日本の農産物というのは海外では高く評価されてきているらしく、中国などアジアでは、日本の作る果物などは高級品になっているようだ。こうしたところでも、日本は実は輸出できるし、工業品やブランドもの以外でも、高級品を作れるのだと自覚した方がいい。

円高にして農業などの高級品で中国などの富裕層に物を売るという方向も悪くないのではないか?

2008年2月16日土曜日

この場所(ブログ)について

自分の言いたいことを素直に言えたり、書けたりする所なんて、自分にはまったくないし、ここだけだったりする。好きなこと言えて誰にも文句言われない場所って。

でも一方で、それは誰もここを知らないからだし、それは気楽な反面、誰からも無視されているということでもある。

実際の生活では、人と話すこともあまりないし、誰かに言いたいことをぶちまけることも、やりたくともできないのが本当のところ。

無視されることは慣れてはいるが、もうそろそろ耐えられない、という思いもある。

もう何年も、遊んだことがないので、そろそろこんなブログ書いて暇つぶししているより、どこかで思いっきり遊んでみたいもんだ。

でも先立つ金銭はないし、一緒に遊んでくれる人もいない。そもそも、何をして遊んでいいのかも分からない。

正直いって遊びたいことがまるでない。旅行なんて面倒だし、本当に自分でも困ったもんだと思う。


あーあ。なにか、文章(小説とか)でも書いて遊ぶかな。それぐらいしか、遊ぶことが思いつかない。

あ、遊ぶことが思いつかない人間を主人公した小説でも書いてみようか。いかにもつまらないそうな小説だが。

社会貢献という言葉の使い方

「社会貢献」という言葉は、たいへん耳ざわりが良いが、この言葉の使い方をよく注意して聞いていると、「騙し」が含まれていることが時にある。

いや、ここで「社会貢献」というのは、ボランティアなどの具体的な社会活動を指しているのではない。

ここで言うのは、普通の会話で何気なく使われる時の「社会貢献」という言葉である。例えばこんな感じ。

「そうゆうのを我慢してやることも、ある種の社会貢献だろう」という感じの使われ方のことだ。

つまり、社会貢献という言葉は、わりと、本来その仕事をやるべき人が、体よく他人に自分の尻拭いをさせたい時に使われる言葉なのだ。