2008年7月21日月曜日

日教組の本当の意味

これは個人的な考えだが、日教組という団体は、監督省庁であるところの文部科学省から、うるさいことを言われないようにするためにの存在するのだ。

なにせ人間はさぼりたいし、大変な思いはしたくないし、できれば楽をしたいものだ。一般の企業に就職せず、教師になる人物など、大変な思いをするのがイヤで、休みが多くて、給料もそこそこ貰えて、社会的なステータスもあるし、会社みたいに潰れないから、教師になったのだ。

最初からそんな動機で教師になったものだから、そもそもやる気もないし、生徒にも教育自体にも興味も関心もない。だがそれだと監督省庁たる文部科学省から、うるさいことを言われかねない。

そこで日教組を作って、文部科学省からの様々な「指導」をかわすことにしたのだろう。そんなわけだから、教育改革などできるわけもないし、日教組が消滅して時点で教育改革ができることになる。


そう言えば、少し前に渡部昇一の『国民の教育』(扶桑社文庫)を読んだ。あまりたいしたことのない、論理的には欠陥だらけの本だった。教育のことなど実はたいして理解できていない人なのではないか?そんな感想だけが残った。実につまらない本だ。