2007年6月6日水曜日

WEB2.0について

最近ドコモがDoCoMo2.0なるキャンペーンを張って頑張っているが、残念ながらその内容がイマイチ意味不明になっている。自分もドコモの株を保有しているから、株価が上がって欲しいが、このままだと、しぼんでしまうだろう。

DoCoMo2.0などといって、携帯が新しくなる、というキャッチフレーズを盛んに流している。しかしその内実は携帯自体を振ってプレイするゲームと、音楽のダウンロードなどで、特に目新しいと思えるサービスだとは思えない。新しいと思えるサービスでは、一台の携帯に2つの電話番号とメールアドレスを持たせることができるもの。これは少々コロンブスの卵的なサービスだが、これならauでもソフトバンクでも似たようなサービスはできのではないか?技術的に難しいと思えないし。

ドコモは他社にはマネできないサービスだ、としているが、少なくとも今のところは、いかにもマネできそうなサービスだし、そのうち、間違いなくマネされるサービスだと思う。



そう言えば、肝心のウェブ2.0というもの。これについてそんなにたくさん書くことはないし、そもそもこの言葉自体がすでに古い感じもしている。が、この内容は簡単に一言でいえば、どうも情報の双方向性のことらしい。

ネット自体が昔から、個人が情報を発信できる(このブログみたいに)ことが、今までのメディアと違うところだと言われてきた。そしてそれは事実だし、正しい。

ところが昔はホームページを作るのに、作成ソフトが必要だったし、それを使いこなすのが大変だった時期がある。ホームページ専用の作成ソフトを使わない場合は、普通のテキスト・エディタを使って、自分でタグを打ってHTMLを作って、ホームページを作成するしかなかった。

ウェブ2.0が特に情報発信の双方向性をうたうのは、ブログの爆発的な普及で、作成ソフトも必要とせず、HTMLの知識もまったく不要で、すでにテンプレートが用意されていて、簡単に自分のページを公開できるようになった事が大きいのだろうと思う。

ところが、この種の「ネットにおける情報発信の双方向性」という言葉は、単なる「機械の仕組み」の話しに過ぎなかった、というの本当だろう。雑誌などでさんざんウェブ2.0を煽ったが、
単なる言葉の流行という雰囲気もした。実際は、ブログなどを書き続けていける個人など、かなり少数だし、その中でも有名ブログなど、数えるほどしかないだろう。

情報の双方向性という機械の仕組みは、実はどうでも良いのだと思う。問題なのは、それを使う人間側だ。

いくら個人の考えを世界に向けて発信する、といっても、それがそもそもできなければしょうがない。そもそも文章など、書ける人はそんなに多くないはずだ。文章が書けるとは、単なるリテラシーの問題とは違うのだ。

文章が書ける人間というのは、本を良く読んでいて知識があったり、情報をたくさん持っていたり、あるいは、それなりの考えがあったりする人でないと、文章など書き続けることはできないのではないか?

実際、たいして内容のない個人ブログでも、それさえ作れない人が多い、というのが本当ではないのか。

ここで面白いのは、ネットの世界で、バーチャルな世界という、いわば非現実的な世界として語られることが多い中で、実は画像や動画以外の大半のコンテンツは文字情報であって、その文字情報=文章を書ける人間は、以外と限られるという現実があるということだ。

ネットというバーシャルな世界は、最新の科学技術の上に成り立っている、仮想世界というイメージもあるが、実はそこに発信者として参加するには、今までと同じように、文章力と、知識、アイディアが必要になってくるということだ。

つまりネットの世界は従来の文字の世界とあまり変らないものだったということ。所詮、人間のできるコミュニケーションなど、その方法やあり方など、だいたいはすでにあるものでしかない。

そこで個人のこうした言語能力・文章力の差異により、ブログサービスと平行して、別のサービスがたくさん出てきた。それがSNSだ。

SNSなら、ちょっとした簡単なコメントを書き込むだけで、取り敢えずコミュニケーションが成立して、人間関係も築けるし、暇つぶしにもなるしで、受けているようだ。

SNSの場合なら高度な文章力も不要だし、知識もいらない。アイディアもいらない。単に「今日はこうゆうことがありました」とか、誰かのプロフィールに行って「元気?」などとやっていればそれで成立する。

要するにSNSは誰でもが参加できるサービスだ。で、これをよく見ると、ネットに多くの人達を参加させ続けるためには、機械の仕組むだけの双方向性だけではダメで、もっと内容的に簡単にできるものでないとダメなのだ、ということだ。

ブログなら文章力や知識も必要になるとすれば、これはある一定の人間しかできない。多くの人は双方向性どころは、見たり、読んだりする一方の一方通行のようなものになっている。

そういったネット上の「見て読んで」という「一方通行」の人達のために、別のサービスが必要だろう。そうしないと、このネット上で実は大多数派の「一方通行」の人達が、飽きてしまい、ネットなどあまりやらなくなるかも知れない。

こうした大多数派がネットから撤退したら、ネットを利用して何かやっている人も企業もたいへんだ。そこで出てくるのが、SNS。これを積極的に使うことで、多くの「一方通行」派の人達を取り込んでしまおう、というのが、実はウェブ2.0なのだろうと思う。

つまりウェブ2.0とは、文章の書けない人や知識のない人達もネット上に参加させ、ネットに引き止めておくための、方便のことなのだろう。

例えば最近のSNSで、こんなシンプルなスタイルのものを見ると、上記のような考えをどうして持ってしまうのだ。

□「もごもご」

□「Timelog」


ここまでシンプルで簡単だと、その存在意味すら疑いたくなる要素もあるが、これも使う人間しだいで、使い方では面白く使えるのだろう。

ウェブ2.0はどう考えてもネットの可能性なんて話しではなく、ネット上にいかに多くの人を引きつけ(集客力の一つ)そこから、経済的な利益を引き出すかという問題にすぎないだろうと思うが、あまり皆、露骨にこうゆうことを言わない。

言った方が、物事の本質が見えやすくなって、いいと思うのだが。