2007年6月7日木曜日

学校における競争原理

一週間くらい前のニュースだが、大学や学校に競争原理を導入したいという、教育再生会議第2次報告についての記事があった。この記事と思いつきメモ。


「大学や学校に「競争原理導入」 教育再生会議第2次報告」(asahi.comより記事を引用)
2007年06月01日23時14分

 政府の教育再生会議(野依良治座長)は1日、総会を開き、安倍首相に第2次報告を提出した。大学など学校間に競争原理を導入することで予算配分の適正化や教員の資質向上をめざすことを提言。授業時数(コマ数)を増やすために、必要に応じて夏休みや土曜日を活用することも打ち出した。個人の価値観にかかわる分野では、現在の「道徳の時間」を「徳育」として教科化することも提唱している。

 この日の報告は今年1月の第1次報告を具体化したもので、その内容は6月中に閣議決定する政府の「骨太の方針」に盛り込まれる。安倍首相は1日夜、首相官邸で記者団に「こうすれば日本の教育は良い方向に変わっていくという提言をいただいた」と語った。

 第2次報告には、第1次報告の目玉の一つだった「ゆとり教育の見直し」のための授業時数10%増の具体策として、夏休みや朝の15分、土曜の活用が盛り込まれた。土曜授業については、週5日制を基本としつつ、教育委員会や学校の裁量で必要に応じて補習などを実施できるとしている。

 学校への競争原理導入は第2次報告の柱の一つで、成果に応じて国が予算配分する仕組み作りを要請している。学校間の競争によってレベルの底上げを図る狙いがあるが、学校間格差が拡大する恐れもある。

 大学・大学院について「選択と集中による重点投資」と明記。国立大学法人運営費交付金は「基盤的経費を確実に措置する」とする一方で、研究・教育などの評価に基づいて「大幅な傾斜配分を実現する」とした。また、教員の人事・給与の年功序列をやめ、業績に連動した給与体系の導入を求めている。

 小中学校では「地域の実情に留意」したうえで、教育委員会の独自判断で学校選択制を導入できるようにし、児童・生徒が多く集まった学校に予算配分を厚くする仕組みを検討。教員給与は勤務評定を踏まえた給与体系にすることを提言し、08年4月をめどに教員給与特別措置法を改正することを打ち出した。

 首相がこだわる「高い規範意識」の育成をめざす方策も盛り込まれた。子どもの凶悪犯罪やいじめ、学級崩壊などが頻発していることから「規範意識や公共心を身につけ、心と体の調和の取れた人間になることが重要」と指摘。そのために「徳育」の教科化を打ち出した。点数評価はしないが、文科省検定の教科書を使用するとしており、道徳や規範の枠組みを国が「検定」することに異論も出そうだ。

 家族や子育てに関しては、中学校、高校の家庭科で「生命や家族の大切さ、子育ての意義・楽しさを理解する機会を拡充する」と表記。ただ、母乳育児や子守歌の効用をうたった「子育て提言」は、政府・与党内からも異論が噴き出し、最終的に断念した。

     ◇

■第2次報告のポイント

●教育委員会や学校の裁量で、夏休み活用、朝の15分授業、土曜授業を実施して授業時数(コマ数)を10%増やす

●公立学校教員給与は評価を踏まえた体系にする

●教育委員会に「学校問題解決支援チーム」を設置、課題のある子どもや保護者との意思疎通に問題がある場合に解決に当たる

●現在の「道徳の時間」を徳育として教科化する

●全国学力調査の学力不振校に改善計画書を提出させ、国や教委は特別支援を行う

●幼児教育の将来の無償化を総合的に検討する

●大学・大学院での9月入学の大幅促進のため、学校教育法施行規則を改正する

●複数の大学が大学院などを共同設置できる仕組みを創設し、国立大を大胆に再編統合する

●国立大学法人運営費交付金は、基礎的な部分を確実に措置すると同時に、各大学の努力と成果を踏まえた配分になるよう新たな方法を検討する


この記事が便利なのは、記事の後段に第2次報告のポイントが列挙されていることだ。長々とした記事だけでは、つい読み流してしまう箇所でも、こうすれば読み流してしまうことが防げる。

よく学校における競争原理が、教育を再生させるために有効な方法であるかのような議論があるが、これは受験校には有効だが、義務教育や一般の受験とはあまり関係ない高校の場合には、競争すべき目的がないために、非常にやりにくいはずだ。

しかも何を競争させるかが抽象的で、どうもしっくりとこない。また競争によって、どれだけ教育の内容が良くなったのかを判断するための基準が不明瞭で、ちゃんと学校の努力を評価するのは難しいのではないか?

学力の場合は、評価基準として、最低限のレベルと大凡の中間レベルを設定して、その到達させるべき、明確な生徒の人数を上げるなどして、それをクリアーできていれば基本的に問題はないと、いうべきだろう。

最近の学力低下問題は競争の問題ではなく、ある一定のレベルを、大部分の生徒(全員というのは実質的に無理がある)に身につけさせるということだ。それができていないから問題なのだと言うべきだ。

やはり受験と関係ない範囲で学力で、学校間の競争はしんどいだろう。意味のない競争に子供は巻き込まれるのも、見ていて忍びないものがあるだろう。

ただし、いくら競争が学校というものに合っていないからといって、まったく何も責任を問わないのも、考えものだ。どこかで学校や教師の責任を明確にする必要があるだろう。

今まで、学校や教師に、例えばどういった責任があるのか、必ずしも明確ではなかったと思う。学校や教師に具体的な責任が問われないから、ズルズルと学力低下問題やいじめ問題が表面化するほど深刻になったのだと思う。

この責任の中身の明確化は、今回の再生会議でもどうせ議論されていないだろう。

大学についての競争原理、これは大賛成だ。今まで大学には中身を問われない気楽さがあった。適当に学生を就職させていれば、それで良かったという雰囲気がっただろう。これからは教育面と研究面での競争をより全面に出すべきだ。

そうすると、ついて行けない大学教師が続出する恐れがあるが、それは大歓迎で、ダメな研究者は退場してもらいたい。大学は文字通り遊園地でもないし、病院でもないのだ。遊んでいたり、そこで寝ていたりすれば良いという場所ではない。

今はどうだか知らないが昔は、学生の卒業旅行にくっついて行きたがる、おかしな教授もいて、「旅行の引率などで学生に協力できる」みたいなことを平然と言っていた、バカたれ教授を具体的に知っている。

教授が学生と一緒に遊んでいる時間はないはずだ。遊ばすために教授のポストが与えられた訳でもないし、遊ばすために、大学に払った学費と税金から給料や研究費が出ているわけではないのだ。そんなことも分からない人間がいたのも事実である。

それにしても、記事にある「子育ての意義・楽しさを理解する機会を拡充する」という発想自体に、多少違和感がある。はたして学校教育・公教育という国が行う教育で、子育ての楽しさ、などというものを10代の子供相手に教える必要があるのだろうか?

最近は30代でも独身の人間が多くなった。教師の世界も同様だろう。それに若い教師なら子供など育てていないだろう(近頃晩婚化しているので)。そんな教師に子育ての楽しさなんて教えられるはずもない。

もっとも、最近は「赤ちゃんポスト」の件でも分かるように、若い親で、子供を産んだのはいいが、ちゃんと育てられない人も増えているようだ。それを考慮した上で、問題意識を教育の中に反映させたかったのかも知れない。

しかし、それでも、学校教育で子供相手に子育ての楽しさを教えるのには違和感は消えない。個人的にだが。

自分自身も学校でひどい目に遭ってきたタイプなので、こうしたニュースをみると、色々と考えてしまうことも多い。今回の再生会議でも、他にいろいろと問題点があるが、全てをここで拾えないので、メモするのはここまで。