2007年6月21日木曜日

教育関連3法の成立

教育関連3法と呼ばれる法案が可決され成立した。この3つ法律は以下の内容。


「地方教育行政法改正案」(文部科学相に教育委員会への指示・是正要求権を付与)
「学校教育法改正案」(副校長や主幹教諭を新設)
「教員免許法改正案」(教員免許に更新制を導入)

これらの法案は、中央公聴会では反対の意見が多かった。


「教育3法案、中央公聴会で反対意見相次ぐ」(asahi.comより記事を引用)
2007年06月15日20時13分

 教育関連3法案を審議している参院文教科学委員会は15日、中央公聴会を開いた。5人の公述人のうち4人が法案に否定的な見解を示した。

 自民推薦の佐々木知子・帝京大教授は規範意識や国語力の低下を挙げ、3法案に賛成。一方、民主推薦の佐竹勝利・鳴門教育大教授は教員免許更新制について「10年に1度、30時間の講習の効果は疑問」、共産推薦の藤田昌士・元立教大教授は、学校教育法改正案に入った「我が国と郷土を愛する態度を養う」との表現に「国家は道徳の教師になりえない」と述べた。

 公明推薦の最首輝夫・前千葉県市川市教育長は教育委員会制度について「抜本的に変える必要がある。地方教育行政法を廃案とし、根本からやらねばならない」と改正案を疑問視した。

 公聴会後の理事懇談会で、与党側は19日に安倍首相が出席しての締めくくり総括質疑と法案採決を提案。野党側は一般質疑が必要だと主張し、合意に至らなかった。


この公聴会は一体、何だったのだろうか?開かれた日付だって、15日だ。教育関連3法案が可決されたのが20日だから、わずか5日前のことだ。こうした公聴会を参議院の委員会で開いたのに、それがまるで反映されていないかのようだ。

これが仮に文部科学省が開催したような場合であれば、公聴会の内容が無視されるのは理解できるが、国会でのことなので、参議院のあり方に少々疑問を持つ。もう少し参議院の中で議論をしてから法案の可決は考えて欲しいものだ。

それだけや野党の勢力が弱いのか、やはり与党が圧倒的に強い、ということなのか。



「教員免許更新、09年度に導入…教育改革関連3法が成立」(Yomiuri Online から記事を引用)

 安倍首相が掲げる「教育再生」の具体策の第1弾となる教育改革関連3法が20日の参院本会議で自民、公明両党などの賛成多数で可決、成立した。民主、共産、社民の各党は反対した。


 3法の成立で、2009年4月から、教員免許に10年の有効期間を設ける更新制が導入されるほか、08年4月から小中高校で副校長や主幹教諭など新たな職種の設置が制度化される。

 成立した3法は、学校教育法、地方教育行政法、教員免許法及び教育公務員特例法の各改正法。昨年成立した改正教育基本法や教育再生会議の第1次報告を受け、首相が今年1月、今国会提出を指示した。

 改正学校教育法は、幼稚園から大学までの各学校の目的を改正教育基本法に沿って見直した。義務教育の目標に「公共の精神」や「我が国と郷土を愛する態度」などを盛り込んだほか、学校の組織運営体制の強化のため、副校長、主幹教諭など、新たな職種の設置を可能にした。

 改正地方教育行政法は、子供の生命に危険が及んだり、教育を受ける権利が侵害された場合、教育委員会に対する文科相の指示・是正要求権を認めた。昨年、いじめによる自殺や必修逃れ問題で教育委員会の不手際に批判が集まり、制度改正のきっかけとなった。

 改正教員免許法及び教育公務員特例法は、教員免許に有効期間10年の更新制を導入。免許を更新するためには、管理職など一部の教員を除き、30時間の講習が課される。全国約110万人いる現職教員に対し、09年度から更新講習が行われることになる。

 また、指導が不適切な教員については、免許更新制とは別に、従来の人事管理システムの徹底で対応。都道府県教委などが第三者や保護者の意見を基に認定を行い、認定された教員には指導改善研修を実施する。研修中の教員は免許更新講習を受講できない。

 首相は同日、首相官邸で記者団に3法の成立について、「教育現場を一新し、教育新時代を切り開いていきたい」と語った。

(2007年6月20日23時15分 読売新聞)



以前に書いたか忘れたが、教員免許の更新制など、実態に合っていないものだ。教員免許というものは、一般の国家資格と性格を異にする。一般の国家資格は、例えば司法書士や司法試験を考えれば分かるように、、その資格を取得するために、ちゃんと試験を受けて、その実力があることを認定された者に付与されるものだ。

車の運転免許でもそうだろう。ペーパーテストと実技試験をクリアしてからでないと、免許は取得できない。その取得する資格を与えても問題ないと判断されて、はじめて資格(免許)が付与される。当り前のことだ。

だからこの資格を与えられた者が、その能力や技術を一定水準に保つ努力や気構えなどが必要だ。その一助として更新制という制度があるのだろう。

ところが教員免許というのはそのような構造になっていない。大学で一定の単位を習得すれば試験を受けなくても資格を取得することができる。つまり教員免許というのは、教員になるための能力があると判定されて付与されたものではないし、教員としての実力があるとはっきりと認定されて付与されるものでもない。単に大学の必要単位を揃えた者、ということであるに過ぎない。

大学での教職課程を履修した者ならたいていは知っているが、教育原理なり、教科教育法(専門の科目によって内容が異なる)などで習う内容は、全国一律の内容ではない。学部の一般の講義と同じように、担当する教員によって内容が異なる。講義内容は教員の恣意的とも言える内容で、事実、大学の教職課程を履修しても、教える能力や技術はまったく身に付かない。

そもそも資格というものは、全国一律の内容を持っていないと、基本的には資格の要件を満たさないものだ。

大学で単位を揃えただけなので、教員免許を更新するといっても、どうもピンと来ないし、実質的に内容や意味ががあると思えない。教員免許を取得しても、そのまま教師としての能力や教える技術を取得したことにならないので、そもそも更新制というもの自体に馴染まない。

教員の場合、客観的に見て、教員免許の取得で、教師の能力があると思われているのではなく、公務員の採用試験で、その能力が判定されているのだと思う。

要するに免許という国家資格の問題ではなく、一般の公務員と同じような採用試験を通ることで、実際には、その能力が認定されているはずだ。

その意味からすると、免許の更新制導入をするよりも、任期制の方が実態を合っていると思うし、教員の問題には適しているのではないかと思う。

具体的には10年、とか場合によっては5年とか任期を決めて、その任期がくれば原則解任され、それと同時新たに次の任期まで採用が継続される、というものだ。

よほど問題がなければ基本的には再任されるようにする。問題がある教員の場合には次の任期には再任されない、という形にすればよい。採用試験の時にその能力が判定されたわけだから、採用した都道府県が、教員の質や能力、やる気などをチェックして、教員という名の職員を管理する責任がある。

やる気があって、学校の発展に一役買った教師や生徒の能力をちゃんと伸ばせる教師は問題ないが、やる気のない、なんの結果も出せず、学校の雰囲気や風紀維持もきちんとできない教員には去ってもらう、というのであれば、更新制よりも任期制の方が合っていると思う。

もっともこれは実質的には、今回の更新制と似たようなものだが、任期制の方が厳しくてよいのではないかと思う。それだけ教員側に緊張感をもたらす。

この任期制は公務員の採用形態や雇用形態にも馴染むものだ。同じように任期制を採用しているのが、裁判所である。裁判所の判事(裁判官)は任期制である。確か10年ごとの任期で、原則再任だが、何か問題があるとはじかれることになっている。

裁判官の任期制を考えれば、決して公務員の採用形態として特異なものではないし、個人的には、いい案だと思うのだが。

しかしながら、この任期制を教員に適応した場合、一つまずいことがある。それは政治的な心情などの理由で、採用されている自治体から再任拒否される可能性があることだ。

この場合、教員としての能力はきちんとある場合で、政治的な心情その他の理由で再任拒否された場合のことだ。これは明らかに憲法違反、人権侵害に当るが、いちいち裁判で争っていると時間ばかりかかるし、弁護士も立てて、ということなので、人権侵害に当っても、その心理的・経済的負担がかなりあり、実質的に大変なことになるだろう。

ところで更新制の場合は、国家資格としての教員免許を問題にするので、例えばある教師が更新の際に、更新要件を満たさないものがあって、更新できず、クビになった場合でも、ある程度客観的に判断している、という建前を取りやすい。本当は更新の際の要件が具備されていなかったというのではなく、教員の思想・心情が再任拒否の理由だったとしても、それを隠して客観的な建前をとれる可能性が考えられる。

任期制の場合には、採用してる自治体の主体的な判断によるので、更新制のような客観的なフリはしずらく、政治的な思惑や視点は常に介在しやすい、という認識を一般国民が持ちやすく、この点からも更新制よりも任期制の方が適しているような気がする。

この問題は、もう法案が可決したので、意味が無く、この辺りで論じるのを止めておく。




それにしても、記事にある、「改正地方教育行政法は、子供の生命に危険が及んだり、教育を受ける権利が侵害された場合、教育委員会に対する文科相の指示・是正要求権を認めた。」という一文は、確かにその通りだろうが、考えてみれば、これほど異常なことはない。

学校という場で、どうして「子供の生命に危険が及ぶ」とか「教育を受ける権利が侵害される」ということが、そもそも発生するのかだ。

何気なく書かれているこの一文は、明らかに異常な事態を物語っている。今回の法案が可決された大きな理由は、やはりこうした異常な事態が学校で実際に起こっているからだろう。

なんで学校にいて生命の危険にさらされるのだろうか?どうして学校にいて、教育を受ける権利が侵害されるのだろうか?実に変であり、異常だ。

学校にいて生命の危険にさらされるというのは、尋常ではない。それを食い止めるために、なぜ新たに法案を可決せねばならぬのか。ここがよく分からないところだ。教師がきちんと生徒を見ていれば防げることではないのか。法律など作っても、教師が生徒をきちんと見ていなければ、事態は何も変わらないのではないのか。

なぜ学校にいながら、教育を受ける権利が侵害されるのか。教育をする場所が学校なのは言うまでもないが、その学校で教育を受ける権利が侵害されるという。世界史が必修科目であるにも関わらず、これを習うことができなかった、という意味での「教育を受ける権利の侵害」なのだろうか?

いずれにせよ、自分は、子供もいないし、大人で、二度と学校へ行く必要がないから、気は楽だ。ダメ教師を追い出すなら早くした方がよい。