2007年7月3日火曜日

教育についての覚え書き

以下は、教育についての覚え書き。教育に関するいくつかのニュースと、ちょとしたメモ。


来春開校の教職大学院についての記事を読んだ。記事を引用する。


「来春開校の教職大学院、21大学が認可申請」(asahi.com より記事を引用)
2007年07月03日

 文部科学省は3日、来春から開校予定の教職大学院について、21の大学から設置認可の申請があったと発表した。国立15校(私立との連合を含む)、私立6校で、定員は計766人の予定。今月18日に大学設置・学校法人審議会に諮問し、審議が順調に進めば11月末に認可される見込み。

 教職大学院はロースクール(法科大学院)などと同様の「専門職大学院」。学校運営や授業研究のリーダーとなる教員の養成を目指す。

 申請があった大学と定員は次の通り。

 【国立】北海道教育(45)宮城教育(32)群馬(16)東京学芸(30)上越教育(50)福井(30)岐阜(20)愛知教育(50)京都教育=京都産業、京都女子、同志社、同志社女子、佛教、立命館、龍谷と連合=(60)兵庫教育(100)奈良教育(20)岡山(20)鳴門教育(50)長崎(20)宮崎(28)【私立】東京福祉(30)聖徳(30)創価(25)玉川(20)早稲田(70)常葉学園(20)



教職養成を専門とする大学院の設置を政府が検討していたのは知っていたが、まさか、来春から開校されるとは知らなかった。

この大学院が、一部のエリート教員を養成するための大学院なのか、それとも教職課程を大学院に作り替えたものなのか、そこの部分がややはっきりとしない。この点はあとで調べるつもり。

個人的には教職を専門とする大学院の設置には反対だった。その理由は何の意味もないからだ。教職を希望する学生には、大学院に進学しなければならないため、学費の負担が重すぎる。同じことはロースクールについても言えることだが、これでは金に余裕のある学生しか進学できないことになる。

奨学金の制度を充実させても、将来はは安月給の教師生活が待っているだけだ。ロースクールのように、弁護士にでもなって、そこそこの年収が貰えるわけではない。義務教育の教師など、その大半は教務員になるわけだから、奨学金の返済はキツいだろう。

また教職専門の大学院を作ったとしても、内容的に意味があると思えない。教職課程を大学院組織に改組すれば、自動的にそこで教える内容も高度化するわけではない。おそらく内容的には、従来の教職科目と大差ないだろう。

いくら大学院を作っても、そこで教えている大学の教師は同じ人間だ。だから同じ内容の講義しかできないはず。しかも、従来の教職課程の講義は、内容的に恣意的なものが大部分だった。自分が出ていた教育原理の講義内容は、フランスの教育についてだった。それも実権的な教育をしている小さな私立学校を扱ったドキュメンタリー(確かテレビ番組)を教室で流したりする、そんな内容だった。

こうした講義が行われているのが実際で、教職課程の講義に出ても、教師として教える能力の向上や教壇に立つための基礎的な知識や技術の習得などは、はっきり言って一切なかった。これでは実際の教育現場で役に立たないはずだ。

教育学の講義が実際の教育現場で役に立たたないと言われる。それは机上の空論だとか、抽象論だとか、そういった理由ではなく、実は教師になるために必要な知識や技術とは直接無関係な内容を講義しているからである。

これは自分が体験したことであるから、言わば体感で知っている。こうした講義では、まるでレクリエーションのような授業内容を紹介したり、イベント用の授業を紹介したり、そんなことで講義が終ってしまう。また自殺しか中学生か何かの事例を紹介して、あなたたち学生はこの事例をどう思うかというアンケートなど書かせたりして終ってしまった。

授業中に生徒の注意を引きつけるにはどうしたら良いのか、生徒にちゃんと理解させるには、どういった方法を取れば良いのか、悪い生徒や言う事をまるで聞かない暴力的な生徒には、どういった対応をすべきなのか、など、これらのことは、実は従来の教職課程の中ではまったく教えられていないし、テーマにもなっていない。

こうしたことをまるで知らないで教師になってしまうのが実際だ。教育学者は、こうした基本的な事項について講義する能力がないと思う。

それは、今まで、広く教職というのは、たいした努力もせずに飯を食える職場だったからだ。一度教師になってしまえば、不祥事を起こさない限り首にはならない。たいして教師としての能力がなくても食っていけるという現実があった。

それで安定しているし休みも多く楽な商売だということで、就職先として良い、という認識が大学生の中にあり、それで教師になった連中が多かったはずだ。

そうした現実があるから、教えるために必要な技術だの知識だのと言ったものを、教育現場に反映させる必要性もたいしてないし、ニーズもなかったのだ。だから教育学の中ではたいした教育上の議論など無かったはずだ。はっきり言ってしまえば日本の教育学には実態がないのだ。

この新しい大学院には、教育学者以外にも、実際に教えている現役の教師やその他の講師を雇うのだろう。しかしそもそも教育の技術や実際的な知識など、ちゃんとした形になっていないし、きちんと言葉にされていないわけでから、やはり、上手くいかないだろうと思う。

実態のない教育学をいくら講義しても、現在、問題になっているいじめ問題や学力崩壊や学級崩壊などに対処などできると思えない。そもそもそれらに対処するための知識も技術も何もないのだから、教えることなど不可能だ。

現役の教師や評論家や行政側の人間も、事情は同じようなものだろう。試行錯誤の状態で、学生に説明できるだけの知識や技術、情報の蓄積はないと思うが。

その点で、現在の様々な教育問題に対処できる優秀な教員を養成したいというのが、その教職大学院の設置趣旨なのだろうから、かなり疑問がある。はっきり言って金と時間の無駄だろう。


次は、呆れてしまうニュースだ。


「万引き容疑の大学講師、「講義終わるまで待って」と懇願」(asahi.com より記事を引用)
2007年06月20日

 万引きを見とがめた店の保安員にけがをさせたとして、奈良県警高田署は20日、強盗致傷容疑で京都市伏見区新町、畿央大学非常勤講師大石志保(もと・やす)容疑者(49)を逮捕した。大石容疑者は犯行後、店に隣接する同大学構内に逃げ込み、追ってきた保安員に「講義が終わるまで待って」と頼んでいたという。

 調べでは、19日午後4時ごろ、同県広陵町内のショッピングセンターで、栄養ドリンク2本(計約600円相当)をファイルケースに入れ店を出ようとしたところを店の女性保安員(50)に呼び止められてもみ合いになり、指のねんざなど1週間のけがを負わせた疑い。容疑を認めているという。

 同署によると、大石容疑者は大学構内に逃げ込み、追ってきた男性保安員らに見つかると「講義があるので待っていてほしい」などと説得。教育心理学について90分間、数十人の学生に講義した。男性保安員は講義が終わるころ再び同大へ行き、大石容疑者をスーパーへ連れ戻して通報したという。



これが「教育心理学」を担当している教師のやることか。言うまでもなく、教育心理学という科目は、教職課程での必修科目である。こうした人間が教師になるべき人間を教育しているのだ。まったく呆れる。


もう一つ、気になるニュース。教師による生徒いじめ。


「「おバカ」と児童の背中に張り紙 神奈川、一時不登校に」(Sankei Web より記事を引用)

 神奈川県小田原市立小学校の20代の男性教諭が昨年1月、当時小学6年生の男子児童の背中に「僕は女子更衣室に侵入しようとして失敗したおバカさんです」という事実ではない張り紙をしていたことが3日、分かった。

 児童は「学校に行くのがいやになった」と翌日から不登校となった。校長と教諭が謝罪し、児童は1カ月後から再び登校、無事卒業したという。

 同市教育委員会は昨年6月、教諭と校長を訓告処分し、教諭は今年4月から別の小学校に勤務している。

 市教委によると、教諭は昨年1月30日、女子児童からこの男子児童が更衣室に入ろうとしていると聞き、ほかの児童もいる教室で紙を張り付けた。泣きだした男子児童に対し、教諭は「泣いているんじゃないよ」としかったという。

 実際には更衣室に入ろうとした事実はなく、教諭は学校側に「確認しないで軽い気持ちでやった」と説明した。

 児童の母親が翌31日、学校に抗議して発覚した。


ここで、個人的に気になったのは、この問題になっている教師が20代だということである。これが何が問題なのかというと、今年とか来年には団塊の世代が定年退職して、大量に教師がいなくなるから、その分、新卒の採用はいきなり多くなったようだ。

しかし、それはつい1、2年前は違う。これまではずっと、もう10年以上も前から、少子化の進展で、新卒で教師を採用する人数は極端に少なかった。ほとんど採用などしていなかったくらいだろう。

自分も、10年以上までにまたまた知ったことで、当時、都立校での社会科教師を採用した人数は、たった1人だけだった。

つまり実質的に、もう教師は採用していなかったのだ。それが去年だか今年だかから、団塊世代の大量定年で、新卒の教師を採用するようになった。

だから今の30代と20代の教師というのは、実質的に数がもの凄く少ないはずなのだ。

この記事で問題になっている教師は20代であるから、まだ新卒で教師をほとんど採用しなかった時代に、教師になった人間、ということになるだ。年齢からしてそうなる。これが気になるところだ。

つまり都道府県の採用試験では、選び抜かれて教師になった者であるはず。ことによると、1人、2人くらいしか採用されなかった試験かも知れないのだ。競争率でいうと200倍とか、そんな数字になりかねない試験だろう。

そうやって採用された優れているはずの若い教師が、この有様なのだ。これは異様だろう。よっぽど採用した側の、つまり教育委員会の連中に見る目がないのだろうか。いったい、どういった基準で教師を採用しているのだろうか。

最近は学校でおかしな教師がたまに出現しているから、採用にも慎重に相手の人格などを判断していると思う。それも採用人数が少なかったわけだから、慎重に採用を選ぶことができたはず。それなのに、こんな若い教師がいるんじゃ・・・・・というのが正直な感想だろう。

教育委員会ななど教師を採用する側も、教育が必要なのではないのか?こうした連中が、新しく設置される教職大学院に教えに来たとしても、まるで役に立ちそうにないのは明白だ。やっぱり新しい大学院の設置は意味を持たないのではないか。