2007年10月26日金曜日

ぎっくり腰と精神との関係

ぎっくり腰になり、あまりの痛みに苦しみ、身動きできなかった時に、非常に精神的に不安定になった。たかがぎっくり腰くらいで、どうしてあれだけ精神的に不安定になったのか、自分でも今から思うと不思議なくらいだ。

もう世界の終わりというか、人生の終わりとでもいうか、そんな心境に落ち入り、なかなかそこから脱出できないくらいだった。いつも見慣れているはずのものが懐かしく思えてきたり、昔の記憶が蘇り、その記憶の中に入っていきたくなったりした。しかしもう過ぎ去ってしまった過去に戻ることは絶対にできないし、それを思うと余計に精神が不安定になったりした。

例えば中学生の時の記憶が蘇り、ほんの少しだけ会話したことのある女の子の顔を思い出した。今までその女の子のことは忘れていたし、思い出したことさえなかったのに、どうしたわけか、急に思い出した。なぜその女の子のことを思い出したのかも分からない。それどころか今まで、その女の子の存在そのものを忘れていた。自分でもよく覚えていたと思う。

その女の子とはまったく親しくもなかったし、会話も断片的にしかしたことがなく、お互いに興味も関心もなかった。その断片的な会話も非常に短いものだったと思うし、しかもその会話の回数だって3、4回程度だったと思う。そんな相手をなぜ今になって急に思い出したのだろうか?

そのことをここ数日考えていたのだが、やっぱり答えらしい答えが見つからない。思い出すのは、その女の子がこっちを見ている顔で、それは無表情に近く、昼間の明るい光が建物(学校の施設)の中に入り、その光によって女の子の背後と顔の右がわの輪郭部分が明るく照らされている様子だ。それが冬の透き通った空気の中で、よどみなく映し出されている。

その女の子の性格は、非常にしっかりとした芯の強いタイプの子で、クールで冗談の通じないタイプでもあった。あまり笑った顔もせず、いつも連れの女の子(確か下級生)と一緒だった。その行動の仕方がどこか排他的で、見知らぬ他人を寄せ付けない雰囲気があった。何を考えているのか分からない雰囲気があり、不幸なのか、それとも幸福なのか、それも外見では分からない雰囲気があった。

その上、少し不良っぽいところもあり、価値観や行動様式も自分とは違っていたせいもあって、当時はあまり話したいとは思わなかった。この子とはあまり関わり合いたくない、というのが正直な気持ちだった。

この女の子と会話した内容は覚えていない。あまりに断片的な会話だったので、内容のある会話ではなかったから記憶にないのだろう。

だが、あの女の子の顔の雰囲気だけはよく覚えている。ひとつの映像として鮮明に覚えている。今、一体、あの子はどうしているのだろうか?どんな人生を送ってきて、現在の境遇はどうなっているのだろう。

おそらくあまり良い人生は送っていないのではないか。おそらく高校も行かないか、行っても中退しただろう。女でその調子だと、その後は水商売にでも行ったか、コンビニでバイトでもしながら食いつなぐかだろう。

自分と、とんでもなく離れた所にいる、あの女の子はことによると、もう生きていないのかも知れない。そんな気さえする。

自分が精神的に不安定な気分に落ち入り、あたかも世界の終わり、人生の終わりでさえあるかのような気分でいた時、やはり同じようにどこか不安定で人生がもしかしたら終わっているかも知れない人間のことを思い出したのだろうか。

だがあの女の子(名前は思い出せない)の周囲にある空気や雰囲気は、当時とても光り輝いていた。透明ですっきりしていて、自然な輝きがあった。それを思うと、そう悪くない人生を送っているのかも知れない、とも思う。あの輝いていたものを、もう一度見てみたい気がする。そして現在はどうなっているのか、確認してみたい気がする。その気分が非常に強くなっている。

君の名前はなんていったっけな。名前が思い出せない。ことによると、名前など最初から知らないのかも知れない。同級生でもなく、学校も別なので、たぶん、最初から名前を知らないのだろう。